アフガン報告(1~10)

006/11/28

カブール事務所          
地雷処理専門家 奥村 信司

「ヨオイどん!!」

5日後に始まる除去員の訓練に向け、ヨオイどんのピストルが鳴った。

 今日、11月27日(月)から除去員宿舎への引越しを開始、待ちに待った地雷除去作業開始で、引越し手伝いの除去員たちの動きも軽く、日ごろ鍛えたチームワークで、一致団結して引越し作業を軽々こなして行く。

 大詰めは、倉庫として使用するコンテナの設置作業。この設置作業の為に手配した、日本製の中古クレーンを使用して宿舎敷地内にコンテナの設置作業を開始。やはり、クレーンの故障!2時間程度の中断を挟んで何とか日没までには、作業終了できたようだ。

いざ、引越先の宿舎へ日ごろの訓練の賜物 “チームワーク”
クレーンで吊出し設置OK!
ごくろうさま山の頂上には雪がチラホラ

Afghan No1

 

 



Afghan No2

2006/11/29

カブール事務所       
経理主任(現地代表代行)
 青木 健太

「アフガニスタン地雷除去プロジェクトの胎動」

 昨日 (11月28日)に初雪を観測したカブール。アフガニスタン全土で寒さが一段と厳しさを増す中、地雷除去員達がマザリシャリフからはるばるサラン峠を越え て事業サイト近くのバグラム宿営地に到着した。彼らの多くは、ムジャヒディン(聖戦士)として旧ソ連と戦い、それ以降も兵士として戦いの場に身をさらし続 けてきた元兵士達だ。日本がイニシアティブを取ったDDR(元兵士の武装解除、動員解除、社会復帰支援)プロセスを経て、兵士としての生活を捨てた。 JMASは、彼らが軍閥に復帰することを防ぐ事、そして、安定した収入源を得ることで社会復帰を促す事を目的として、彼らを地雷除去員として雇用する。地 雷除去に加えて、紛争再発予防(平和構築)の要素を併せ持った地雷除去事業のスタートだ。

 

 

 

 地雷除去員達は、移動の疲れも見せず、アドミニストレーションを淡々とこなした。初日は、 簡単な挨拶の後、出席の確認、労働条件の説明、雇用契約の締結などを行った。これからは、地雷探知機、防護服、ヘルメットなどの配布を順次行い、12月頭 から訓練を開始する予定となっている。訓練が終われば、天候不良などがない限り、12月中にも実際の地雷除去活動を開始する運びとなる。元兵士ならではの 規律とチームワークを生かしたJMASならではの地雷除去プロジェクトが、アフガニスタンで始まろうとしている。

はるばるサラン峠を越えてバグラムにやって来た地雷除去員達
標高が高い場所では雪が既に積もっている薪を使用した暖房で温まるスタッフ

Afghan No2

 

 



Afghan No3

2006/12/05

カブール事務所
地雷処理専門家 奥村 信司

「地雷原の雪化粧」

訓練初日の昨日から降り始めた雪は、カブール市内だけでなく、地雷原のあるパルワン州も白銀の世界に変えてしまった。地雷原も例外ではない。地雷原へ通じる道も、地雷原も安全と危険を分け示す赤と白の石も真っ白に塗りこめられている。

 

 

 

 除去作業を待ちわびている村人の為と張り切って訓練に望む除去員37名も、今は、雪を避け室内で講師の話に耳を傾け、雪の止むのを待っている。

晴れ間の雪解けを待ち、除去員の活動は開始される。

雪で地雷原の境界を示す石も隠れてしまっている羊飼いも傘をさして羊を追っている
雪を避け室内で地雷探知機の訓練ウールの毛皮で雪でも寒さ知らず

Afghan No3

 

 



Afghan No4

2006/12/11

カブール事務所
経理主任(現地代表代行) 青木 健太

「毎週金曜日は礼拝の日」

 凛とした 冬の朝、地雷除去員宿営地の一室でコーラン(イスラム教の聖典)を読む声が響き渡る。毎週金曜日はイスラム教徒にとって礼拝の日だ。国民の約99%がイス ラム教徒だと言われているアフガニスタンでは、大抵の仕事は休み。金曜日は、モスクに行って礼拝をする日なのだ。

 

 

 

 宿営地で合宿生活をする地雷除去員達にとっても、それは例外ではない。地雷除去ミッションの最中でも、金曜日は地雷除去機材や車輌のメンテナンス、そして礼拝に当てられる。

歯を磨く地雷除去員スケジュールを確認するチームリーダー

(平均的な金曜日のスケジュール)

午前08時00分~09時00分  聖典コーラン読会

午前09時00分~10時00分  メディカルチェック

午前10時00分~10時30分  休憩

午前10時30分~12時30分  地雷除去機材メンテナンス

午前12時30分~13時00分  車輌メンテナンス

 朝8時から、地雷除去員達は一つの部屋に集まり、聖典コーラン読会を開く。或る者は目を閉 じながら、或る者は胸に手を当てながら神への祈りを捧げる。地雷除去は危険と隣り合わせの仕事である。国際的な規格や、地域的な規格によって厳格に定めら れた作業手順が存在するが、どれだけ作業手順に従順に従っても、事故の可能性がゼロになることはない。我々が出来る事は、事故の可能性を限りなくゼロに近 づけることだけなのである。ひょっとしたら、地雷除去員達は無事故で家族と再会できるように祈っているのかもしれない。そう考えたら、少し指先が冷たく なったような気がした。

 

 

 

彼は一体どんな祈りを捧げているのだろうか

 午前10 時からは救急救命看護士による全てのスタッフのメディカルチェックが行われる。地雷除去員に求められる最低限の要件は、心身共に健康であること。健康面で 地雷除去員に適していないと判断されたものは地雷除去要員になることはできない。また、常に緊張を強いられる実際の除去活動中に、体調不良や集中力不足に より事故が発生しないよう、こうしたメディカルチェックは定期的に行われる。

 

 

 

 休憩の後は、金属探知機、プロテクター、ヘルメットなどの地雷除去機材のメンテナンスが入 念に行われる。金属探知機が正常に作動しなければ、命取りだ。また、装備品の欠損によりオペレーションが停止しないよう、消耗が激しい装備品などもチェッ クし、早めに物資調達の手配を行う。地雷原と宿営地を往復する車輌についても同様だ。


機材メンテナンスの様子

 こうして金曜日に、礼 拝を行い、機材メンテナンス等の準備を行った後、土曜日から木曜日までの6日間、地雷原での除去活動を行うことになる。地雷除去機材を初めとした物質面で の準備、そして、地雷除去員一人一人の精神面での準備。これらは地雷除去活動を行う上で重要なミッションの一部である。地雷原へ出る為の周到な準備が行わ れる日、それがアフガニスタンの金曜日なのだ。

Afghan No4

 

 



Afghan No5

2006/12/26

カブール事務所
経理主任(現地代表代行) 青木 健太

「新しい事務所へ引っ越しました」

2006年12月25日カブール事務所は新しい場所へ引越しをしました。
現在のアフガニスタンは、一時、雪が止んでいたのですが数日前からまた、降り始めた雪が降り続いていて積雪は約50センチに達しています。

事務所の正面事務所内の様子


別棟ローカル宿舎

Afghan No5

 

 



Afghan No6

2007/2/5

カブール事務所
地雷処理専門家 奥村 信司

「義足の除去員」

 靴下をしっかり履かせ た義足と慣れた歩きぶり、セクションリーダーとしての熱心な仕事振りからは、彼が、事故で左足をなくしていると気がつく人はほとんど居ないのではないかと 思う。しかし、シャモハマドは、今から10年以上前に地雷による事故で、左足の脛から下の部分を失っている。

今回、彼の事故の様子を聞く機会があったので、ここで紹介します。

  1994年当時は、アフガニスタンの地雷除去2団体が、ようやく地雷処理の活動を開始したばかりで、現在のように、予算も豊富ではなく、除去員たちは、地 雷原付近に設営されたキャンプでの生活を強いられ、救急車、防護服や面頬のような事故に対する備えは何もなかったと言っています。

 また、地雷処理に関する知識、経験、共に乏しく、危険な作業を実施しているという認識は除去員だけでなく、活動を実施している団体自体にも乏しく、安全管理や品質管理はずさんで、事故が頻繁に起こる非常に危険な仕事だったと言います。

 

 

彼が、カンダハールで、現在JMASが地雷処理活動を実施している地域と似たような、遊牧民が定住地として割り当てられた地域から地雷を取り除く作業期間中、地雷原内ではなく地雷原の外側で事故に遭遇したと言っています。

 その日は、朝から降りだしたここ数日続いていた雨で、作業は一時中断、待 機後、雨が止まないようなので、キャンプへ戻るようにとの指示を受け、徒歩で、キャンプへ帰る途中で、突然、彼の左足の下で、地雷が爆発したとのことで す。後ほど爆発した地雷は、ソビエト製の地雷PMN-2だったと爆破後の残骸を確認してわかったようです。

 

 

 同じ道を毎日通り、他の多くの人々も同じ道を使っているので、まさかあそこに地雷が埋まっているとは思わなかったと語っています。除去を担当した団体も事故があった場所を地雷原と認識していなかったようで、その後も、付近で数件の事故が発生したと報告されています。

彼独自の事故の分析で は、地中深くに設置された地雷は、乾燥して硬く固まっている状態の土壌では、通行人の体重を感じて爆発する事ができなかったが、雨により地盤が緩んだ事 で、その時運悪く通過した、彼の体重を感知したと言っていますが、同様の事故は、アフガン全土でもいくつか報告されていて、非常にまれなケースとは言えな いようです。

Afghan No6

 

 



Afghan No7

2007/2/13

カブール事務所
地雷処理専門家 奥村 信司

「文房具の配布」

2007年2月12日、雨で作業が中止だったので、雨の合間を見て村を訪ね、子供達に日本から贈られた文房具を配りました。13日も、作業終了後に近くの学校に行って残りの文房具を学校に配ります。

 

 

 

 子供だけでなく、大人も欲しいと、半分暴徒となってしまうぐらいの人気でした。

 

 

 

 

 

Afghan No7

 

 



Afghan No8

2007/2/14

カブール事務所
青木 健太

「地雷除去と難民帰還の関係性
~ペシャワールを訪れて~
(前編)」

 1979年に始 まった旧ソ連侵攻、ムジャヒディンによる内戦、タリバン支配、9.11後の米軍空爆など、アフガニスタンは25年以上に及ぶ紛争を経験してきた。国土は荒 廃し、多くの兵士や市民が戦闘で殺され、そして、国外へ大量の難民が流出した。受入れをした国の中で、最も大量の難民を受け入れたのが東の隣国パキスタン である。パキスタンは、宗教的観点、民族的観点からアフガン難民の受入れに積極的で、UNHCR推計で、1990年には最大で330万人のアフガニスタン 人を受け入れた。

 

 

 

 2007年1月中旬、ペシャワールを訪れた。ペシャワールはパキスタンの中でもアフガン難民が最も多く住む都市で、街を歩いていると、ここはアフガニスタンかと見紛うような光景に出会うことがしばしばであった。

 

 

 

↑チャードリーを被った女性、土作りの壁。アフガニスタンの景色そのままだ。

 パキスタン人のビジネ スパートナー、タリック氏の案内で、アフガニスタン人が多く住む地域を2箇所案内してもらった。1箇所目は、ボールド・バザール。バザールとは市場のこと で、肉屋、八百屋、洋服屋など生活に必要なものが全て揃っている。このバザールのほぼ全ての店がアフガニスタン人によって経営されており、中に一歩踏み入 れるとそこはまさにアフガニスタンであった。

 

 

 

↑ボールド・バザールの様子。

 戦争により国外に 逃亡せざるを得なかったアフガン難民の生活と聞くと、貧しくて惨めな生活を連想させる。しかし、実際に見てみると、パキスタンに定住してから20年以上に も及ぶ難民生活の為か、しっかりと根をおろした生活をしているという印象を受ける。タリック氏によれば、アフガン人の多くは商売をして生計を立てており、 難民生活中にペシャワールで生まれ育った子供達も数多くいるとのことであった。バザールの風景を見ながら、案外難民生活も悪くなさそうだなと思ったりし た。

 

 

 

 続いて、難民キャンプのカチャ・ガラ・キャンプを訪問した。キャンプというとテント生活を想像させるが、土作りの家が立ち並ぶ住宅街であった。

 

 

 

↑カチャ・ガラ・キャンプの様子。

 タリック氏の通訳で、 キャンプ内で小麦粉の製粉をしている青年に声をかけた。ここのキャンプで生まれ、25歳の現在までこのキャンプで育ったのだという。クラス12(高等学校 卒業程度)を修了し、今は小麦粉の製粉をして家族を助けているとのことだった。アフガニスタンに帰りたいかとの質問に、「ここにいる人で帰りたくないと 思ってる人なんていないよ」、との返事があった。母国に帰りたくない人なんていない。当たり前の言葉がずしんと胸に響いた。

 

 

 

↑インタビューに協力してくれた青年(写真一番左)

 難民帰還を意味す る英語”repatriation”の語源は、接頭辞の”re”と”patriation”の2つに分けることで説明する事ができる。”re” は”again(再び)”を表し、”patriation”はラテン語の言葉”patria”を表す。”patria”の意味は、”one’s fatherland, native land or country, native place(祖国、出生の土地・国・場所)”であるから、難民帰還(repatriation)とは「祖国へ再び、祖国への帰還」という意味である。語源 に立ち返ると、難民帰還という言葉が持つ意味がよく見て取れる。

 同時に、特定の人々にとって問題を孕んでいる言葉であることも理解でき る。例えば、迫害を受けてヨーロッパを逃れたシオニスト達のスローガンは”a land without people for a people without a land”であった。ユダヤ人達は、自分達が「土地のない人々」であることを認識した上でパレスチナに押し寄せたのだった。土地のない人々は一体どこに向 かって帰ればいいのであろうか。同様に、植民地主義の下で、イラク・イラン・トルコの3カ国にまたがって住まざるを得なくなったクルド人にとっても、同じ 事が言える。

そして、1893年に英国の外交官デゥランドによって制定された国境によっ て、パキスタンとアフガニスタンに分割されて住まざるを得なくなったパシュトゥン人にとっても、例外ではない。元々アフガニスタンとパキスタンの間に広が る地帯はパシュトゥニスタンと呼ばれるパシュトゥン人が住む地域であった。かつては自由に行き来していた土地、ただ大国の一存により国境がひかれ現在はパ キスタンと呼ばれている国において、難民生活を送り生活の基盤を構築した人々は、果たしてどのような心境で暮らすのであろうか。パキスタンに住むアフガン 難民帰還の背景にはこうした問題がある。

 

 カチャ・ガラ・キャンプを出て、車に乗っていると、車窓から木の箱を売るお店が見えた。店 先にいくつもの人型をした木製の箱が並んでいる。タリック氏に質問すると彼は言った。「あれは棺桶だよ」。「ペシャワールに住むアフガニスタン人は皆、死 んだ時はパキスタンではなく、生まれた土地アフガニスタンで埋葬してくれって言うんだ」。棺桶に入り、車のトランクで揺られながら祖国に帰る様子を想像し てみた。大国の利害、権力闘争、イスラム原理主義、そんな大儀を理由に始められた戦争によって、戦火から逃げ惑った人々の気持ち、そしてその人々のとても 長い母国から遠く離れた場所での生活を想像して、やるせない気持ちになった。

(後編へつづく)

 

 

Afghan No8

 

 



Afghan No9

2007/2/14

カブール事務所
青木 健太

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~ペシャワールを訪れて~
(後編)」

 

 

 カチャ・ガラ・キャン プでマドラサ(イスラム教の神学校)を目にした。パキスタン国境付近のマドラサと聞くと、イスラム原理主義テロリストを養成しアフガニスタンに送り込む本 拠地だという印象が強いので、少し気を張っていた。しかし、実際に目にしたマドラサは穏やかな雰囲気に包まれたどこにでもありそうなモスクだった。確か に、原理主義者を養成するマドラサも何処かにあるのかもしれない。しかし、全てのマドラサがそうであるというわけではない。メディアというフィルターを通 じての情報と現実とのギャップを知った。

 

 

 

↑カチャ・ガラ・キャンプ内のマドラサの様子。

 ペシャワールでの滞在 は1泊2日だったので、見ることができる部分が非常に限られていると言わざるを得なかった。しかし、何度も訪れたことがあるイスラマバードとは違う刺激を 得られた収穫のある訪問だった。また、活動国の周辺を見ることでアフガニスタンに対する理解を深めることができた有意義な訪問であった。名残を惜しむよう に、韓国のバス会社大宇の運行するバスに載り、ペシャワールを後にした。

 

 

 

↑イスラマバード-ペシャワール間を運行する大宇(Daewoo)のバス。バスガイドも添乗してくれる。

 ペシャワール訪問 を通じて、難民帰還の障害となるものは何かについて考えさせられた。母国に帰れない一つの理由は、家庭の経済事情だ。多くの難民はアフガニスタンを去る時 に家を売り払って来ている。長期にわたる難民生活の中で、パキスタン国内で肉体労働や小さな商店を営む事で、家族を養うのにギリギリの収入を得ている家庭 が多い。帰るべき場所に家がなく、今住む場所に仕事がある。また、難民キャンプで生まれ、パキスタンの風習の中で育った子供達を抱えている。戻っても生活 していけるだけの確証がなければ、今いる場所にいるという選択肢を選ぶのが一般的だ。

 もう一つの理由は安全である。アフガニスタン南部では依然としてISAF 軍とタリバンの間で戦闘が継続している。また、パキスタン国境付近では米軍による反政府勢力掃討作戦が展開されており予断の許さない状況が続いている。カ ブール市内でもISAF軍や米軍に向けてのIED爆破や自爆テロが断続的に続いており、安定した治安の回復には程遠い状況にある。

中でも、地雷・不発弾が与える脅威は難民帰還の大きな障害となっている。長 きに渡る戦争から、主要幹線道路、灌漑施設へのアクセスなど戦略的に重要な場所には地雷が埋設され、農耕地、放牧地、居住地域などにも、地雷が埋められ、 不発弾が残された。地雷・不発弾は国内に住む人々のみならず、国外に逃れた難民達にも間接的脅威を与え、帰還を阻害している。地雷除去と難民帰還の間には 強い因果関係がある。

また、国家の再建には人的資源が不可欠だが、国外に住む難民達は、アフガニ スタンの復興にとって重要な人的資源になり得る。パキスタンに住むアフガニスタン人には英語での教育を受けた者が多く、経済、社会、政治などアフガニスタ ン国内のあらゆる分野で将来活躍することが期待される。従って、難民の帰還が促進されることで、アフガニスタンは復興の礎となる人的資源を手にすることが できるのである。

地雷除去がなければ難民帰還は困難であり、難民帰還が達成されなければアフガニスタンの復興への道のりは果てしなく遠い。地雷除去と難民帰還の関係性、そして、自らが携わる地雷・不発弾除去事業と平和構築との連続性を再確認したペシャワール訪問だった。

 

       

 

(了)

Afghan No9

 

 



Afghan No10

2007/2/16

カブール事務所
青木 健太

「地雷除去作業開始報告」

 2007年2月13日、アフガニスタンにおいて実際の地雷除去作業が開始されました。積雪の影響で作業を延期していましたが、天候の回復に伴い、遂に作業開始をする運びとなりました。今後ともJMASのアフガニスタンでの取り組みを暖かく見守って頂ければ幸いです。

   ↑地雷除去作業前に打合せをするコマンドスタッフ

 

 

   ↑SOPに忠実に従いながら地雷除去作業をする地雷除去員

 

 

(了)

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