ラオスの人々のために

tagawa

ラオス事務所

現地代表 田川 友康

ラオスの人々のために

カンボジアに続いてラオス人民民主共和国(Lao P.D.R.)の不発弾処理事業を実施することとなり、2005年9月20日からビエンチャンにおける準備作業を開始した。事前の調査に基づき、外務省 (大使館)ラオス政府、国連等国内外関係機関との調整も順調に推移し、ビエンチャンに到着早々に事業許可書を受け取ることができ、これからの順調な事業の 展開を暗示させるものと関係者一同胸を撫で下ろした。

ベトナム戦争(1960~1975 年)時にラオスに投下された爆弾は約200~300万トン(約8000万発)とも言われており、これは当時の人口から考えると、国民一人当たり1トンに相 当する。投下された主要な爆弾は500ポンドの大型爆弾及びクラスター爆弾(ボール爆弾)であり、至るところにそれらの弾体が垣根の支柱として、あるいは 民家の庭先で家畜の餌入れ等として活用されていることなどから見ると如何に多くの爆弾が投下されたかが推測できる。

更に、1959 年から1975年までの15年間、パテトラオ(現政権)とラオス王国政府との内戦が続き、中国製やロシア製あるいはアメリカ製の各種砲弾が大量に使用さ れ、その時の不発弾が、現在も地中から数多く出てきており、ベトナム戦争と内戦時に使われた爆弾や砲弾が、今なお田畑と言わず山中と言わず密かに生き残っ ていることを示している。特に、ベトナム戦争時にホーチミンルートとして使用された南部地域と、パテトラオ軍の本拠地があった東北部のホワパン県からシン クワン県一帯は、内戦の激戦地になった所でもあり、これら地域の不発弾の汚染は深刻な状態になっている。

残 存する不発弾を掘り出して加工し、日銭を稼ごうとする人が誤って爆発させて死傷するケースも後を絶たず、また、ボール爆弾(野球のボールくらいの大きさ) の危険性を知らない(知らされていない)子ども達がそれを玩具代わりに投げて遊んでいて爆発させるケースもあるという。ラオス国内ではこれ等不発弾による 死傷者が毎年200人近くに上っており、この不発弾の存在が、土地利用を制限し、ラオスの経済復興を遅らせる大き な要因の一つになっている。それよりもなお、ベトナム戦争及びラオスの内戦が終了して今年満30年になるのに、未だ、いたいけな子ども達がその戦争の犠牲 になっている話を耳にすると心が痛む。

元々投下される爆弾は、一般的に信管の性能上(不発弾が出ないように信管の性能を良くするとコストが高くなり、かつ不発弾が出ることによって戦場の地域の利用を制限できるという作戦上のメリットもあり、性能を抑えることが一般的である。)10~30%が不発弾となっていると考えられているが、ラオスでは予想以上に不発弾が多いのではないかとの印象を受ける。

ラオスは、不発弾処理機関として労働・社会福祉省の下部組織にUXO Laoを組織し、1994年から9つの県で活動を継続している。UXO Laoは、これまで経験を積み重ね、処理技術を修得しているが、未だに外国の技術及び資金を必要としており、各国に支援を要請している。JMASは、不発 弾処理事業を通じて、ラオスの復興と人道支援を行うため2003年からUXO
Laoと数回にわたり協議を重ね、ラオスの不発弾による被害が最も多く、また、UXO Laoの要望も強いシンクワン県で不発弾処理を協同して実施することとした。同県には以前、国際アドバイザー(デンマーク)とイギリスの国際的なNGOであるMAG(Mines
Advisory Groups)が活動していたが、現在は、いずれも撤退し、外国の支援組織が不在になっており、ラオス政府のJMASに対する期待は大きく、日本の支援を心待ちにしている。

本年10 月19日からシンクワン県を訪れUXO Laoの現地事務所の協力を得て、不発弾の汚染地域を視察する機会を得た。ラオスは言わずと知れた農業国であり、日本では見ることがなくなった牛や水牛に 引かせた鋤で15~20cmの深さで水田を耕している。その水田の周辺にボール爆弾が無数に散在している状況を見て背筋が寒くなった。近くには爆弾が破裂 した時にできる漏斗状の穴が幾つも残っており、戦争が極最近まで行われていたのではないかとの錯覚を覚える。

人家の近く僅か30m と離れていない畑の中からは、ボール爆弾と60ミリ・82ミリ迫撃砲弾が赤錆びた状態で出てきた。動かすことは危険を伴うため、ハンドマイクで住民に処理 現場に近付かないよう呼びかけながら、その場で爆破処理をしていた。その民家に住む75歳のペンさんと言う女性が怯えてドラム缶の陰に隠れて処理作業を見 ていた様子はいつまでも脳裏から離れない。彼女は、爆弾が雨霰(あめあられ)と落ちてくる中を逃げ惑った経験をしていながら、どこの国が落としたものかは全く知らないと言う。ベトナム戦争がどんな戦争だったのか、政府軍と革命軍による内戦があったことも分からない、ただ砲煙(ほうえん)弾雨(だんう)の中を逃げ惑ったことが記憶にあるだけという、それがラオスの田舎の人たちの実情だろう。

ラオスはまた森林の多い国である。そこから多くの資源が生み出されているが、森の中にも不発弾は潜んでいる。シンクワン県の県都ポンサワンの中心地から左程遠くない疎林の中で155ミリ榴弾(りゅうだん)、発煙黄燐弾、迫撃(はくげき)砲(ほう)弾、ロケット弾、無反動砲弾など各種の砲弾が爆破処理される現場を確認した。UXO
Laoの隊員の処理要領は、比較的基本に忠実に実施され、処理技術は低くはないが、2年前にリーダーの隊員が爆破処理中に死亡する事件が発生したという。 常に危険が伴う作業であるが故に一つのミスも許されない。そこに処理技術が高い専門家のアドバイスの必要性が痛感される。

不発弾処理のために、ラオスへの赴任を打診された時、正直言って汚染の状況については無知だったし、関心もなかった。唯一、食指を動かされたのは、防衛大に入って間もない時、辻政信参議員がラオスで行方不明になり、その後、杳(よう) として行方が知れず、国会議員の失踪事件として大きく報道されたことを思い出したからである。生死不明のまま死亡宣告された辻参議員(元陸軍作戦参謀)の 足跡を少しでも辿ることができればと考えたのは筋違いだったのだろうか。辻参議員が最後に確認されたビエンチャンから旧都ルアンパバーンへ延びる国道13 号線は、今はアスファルト舗装され、道沿いには街路樹が大きく枝を伸ばし緑陰(りょくいん)を作っている。ハノイまで車で行けば2日行程だろうが、40年以上も前に僧形(そうぎょう) をして歩いて行こうという辻元参議員の、発想のスケールの大きさに驚いたことを昨日のことのように思い出す。もしそのようなことがなければラオス行きを決 心したかどうか、ちょっとした出来事が人生を左右するものだとつくづく思う。ホーチミンに会うためにハノイへ向かうと言ってビエンチャンから徒歩で北に向 かったという辻参謀がひょっこり出てくるのではないか思わせる長閑(のどか)な田園風景が広がっているのを見ながら、辻元参議員と同じくラオスの地に骨を埋めることになるのだろうかと己の人生を考える。

アフガニスタンに比べるまでもなく、水と緑が多く、少し郊外へ行けば日本の田舎の風景と見紛(みまが)う所が処々(しょしょ) にある。食べ物も新鮮で美味しいし、国民も95%が仏教徒(小乗仏教)のせいか温和で親しみ易い。しかし、不発弾に苦しむ人々を目の当たりにすると、ここ は日本と違うのだということを思い知らされる。JMASにとっては、2カ国目の不発弾処理事業が始まるのを前に「オックパンサー」(3ヶ月の坊さんの修行 が終わる日)の日にビエンチャン事務所勤務者全員で、近くのお寺にお参りして事業が順調に進展することを祈願した。

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