カンボジア タサエンコミューンでの研修報告
研修終了報告提出日 2009年6月30日
研修者氏名 渡部 北斗
研修期間 2009年6月03日~2009年6月30日
1.研修全般について
今回、大学に入学する前の準備期間に、JMASの活動地であるカンボジアで、このような研修に参加させて戴けるという機会があって、プノンペン代表や高山さん、高田さんなど のJMASスタッフの方々や、JMAS愛媛支部の秀野さんや井伊さん、そして、白潟さんなどJMASの活動の関係者の皆さん、両親や祖父母など家族のみんな、コミューンの人た ちなど、たくさんの人のサポートがあって、研修をすることができました。とても感謝しています。日本では絶対にできない体験をしたことや、日本という国を初めて離れて、日本の良い所や悪い所を見つめなおすことができたことなど、カンボジアでの研修は、自分にとって、とても貴重な経験になりました。コミューンで実際に1ヶ月間生活してみて得たことは、うまく言葉で言い表すことができません。これは、得たことが頭で考えるようなことではなく、実際に現場に行って、身体で感じたことだからだと思います。高山さんの言葉を借りると「現場には真実がある」まさにその通りだと思います。現場に行ってみなければわからないことがたくさんありました。今現在、研修に参加しようか迷っている人もいると思います。国際貢献について知りたい、学びたいと思っている人もいると思います。そのような人にはぜひ研修を体験し、現場に行ってみてもらいたいと思います。また、コ ミューンでの研修は、自分の中での研修以前に思っていた成果予想を、はるかに越えた研修になったことも事実です。1ヶ月間で得たものは、まだすべては整理しきれていません。これから社会に出て行って徐々に本当の意味がわかるような事もあると思います。この研修で得たことを、これからの大学生活や、その後の生活でも活かしていくことができるように努力していきたいと思います。
2.研修に至った経緯について
自分は、大学受験の結果、2009年9月、秋田県にある公立大学法人国際教養大学に入学することが決まりました。この大学の1つの特徴として、イギリスの制度を参考にしたギャップイヤーという制度を取り入れ、毎年10人程度(2009年度は12名)の学生を、9月入学組として入学させています。この制度は、合格から入学までの約5ヶ月間に、これからの国際社会を構成する一員として、幅広い視野をもって物事を多角的に捉えること能力を得ることを目標に、生徒自分自身が計画を立て、入学までの期間を過ごしています。今年度の学生の中には、アメリカへ行き英語力向上を目指す人、アジア各国をバックパッカーとして旅する人、オーストラリアでホームステイをする人など、いろいろな計画を立てた学生がいました。そこで、自分は何がしたいのか考えたときに、海外ボランティアやスタディーツアーへの参加のような、国外で国際貢献・国際理解への意識力を向上させるための活動に参加してみたいと思いました。しかし、海外での経験もなく国外で活動がしてみたいと漠然と考えていた自分には、どうしていいのかわかりませんでした。そこで、愛媛県国際交流センターや松山市NPOサポートセンターを訪れたところ、両方が口を揃えて「JMASがいい」とアドバイスしてくれました。また、松山市NPOサポートセンターでは、井伊さんに連絡を取っていただき、井伊さんに、JMASの活動の説明をしていただいたり、活動に参加するための心構えを伝授していただいたりしたあと、大学側の許可も出たので、井伊さんから高山さんに連絡を取っていただいて、研修に参加させていただけるようになりました。しかし、今まで、JMASの活動の見学をした人は最長でも10日前後の宿泊だった中で、自分が長期滞在を希望したこと、また大学の制度に従っての研修希望などは、JMASにとって初めてのことだそうで、対応に困ったことだろうと想像しています。しかし、快く研修希望を承諾してくださり、こうして研修を修了することができました。
3.地雷・不発弾撤去作業について
地雷・不発弾撤去作業は、JMASの活動の最大目的だと思います。でも自分は、地雷や不発弾に対する知識は全くと言っていいほど何もありませんでした。地雷原に行くことにただただ恐怖感を覚えるのみで、地雷原に行く度に、緊張で精神的に疲れて宿舎に帰っていました。そのような緊張感がある現場で毎日朝早くから地雷探知作業をするデマイナーの人たちは輝いて見えました。自分が見学することができた地雷原はM5723という地雷原で、01・04・05という3つの小隊の約100人ほどの隊員が作業をしていました。地雷原としては、雨季ながら雨が少ないという気象条件的にも、土が軟らかいので掘り起こしやすいという土地条件的にも、地雷探知にはやりやすい地雷原だそうです。しかし、内戦時の激戦区であった147高地の近くだということもあり、地雷探知作業中に32万個もの鉄くずが見つかっているということは地雷探知作業はものすごく大変な作業だろうと思いました。見学中にデマイナーの人たちと話をしたり、一緒にお昼ご飯を食べたりする機会がありましたが、デマイナーの人たちは人間味に溢れ、ニコニコした人ばかりでした。地雷原見学の初日には、地雷撤去中の事故で亡くなってしまった7人が眠っているへーヒを見せてもらうことができました。地雷や不発弾の撤去作業は、一歩間違えば、事故が起こり怪我を負ったり、死んでしまったりする作業です。事故が起こらない現場を目指し、安全な状態が維持されることが大切なのだと思いました。高山さんには、二度とそのような事故が起こらない安全な作業には規律が大事だということを教えていただきました。古賀プノンペン代表が視察に来られた時には一緒に爆破処理の現場を見学することもできました。爆破現場からかなりの距離を置いて見学しましたが、爆破音は凄まじいもので、爆破後、数秒間は身体が固まってしまって身動きがとれませんでした。地雷については、自分にはまだまだ知識はありません。でも地雷にもかなりの種類があって、それぞれに工夫が施されていることはわかりました。生きるか死ぬかの戦争に、手加減はありません。それぞれが互いに必死なのです。その状況で、戦場に埋められた地雷が、内戦が終わった今でも、人々に悪影響を与えているかは計り知れません。それがトウモロコシやダムロン、米などを生産する第一産業に頼るしかない人々には尚更です。それでもタサエンの人々は、地雷が埋まっているかもしれない土地を切り開いて家を建て、畑を作ってきました。それは今でも変わりません。今でも地雷が埋まっているかもしれない畑に行って農作業をしています。そうしなければ生活していけないのです。コミューンでの研修中にも地雷の被害を受け、片足や両足を失った人を何人も見てきました。義足をつけて生活している人もいます。松葉杖を着けて生活している人もいます。地雷が人々の生活にどんなに支障をきたしているかは、地雷の恐怖には無縁の日本にいてはわからなかったことで、地雷の埋まっている現場に行ってみて、初めてわかることではないかと思います。
4.井戸掘り事業について
井戸掘り作業の現場は研修期間中に3回見学することができました。井戸掘り体験は29日に予定しています。以前はコミューンの井戸掘りを業者に頼んでいたそうですが、もっと村のためになるにはどうしたらいいか考えた結果とった方法が、村人の中に井戸掘りや井戸の整備・修理の技能を持った人を養成する方法です。しかし、日本とは違い、機材が脆いこと、作業員達の、井戸掘りの作業手順や機材管理に対する知識が浅いこと、作業員の人間関係など、問題点がたくさんありました。しかし、コミューンに井戸の知識がなかったところからの、ゼロからの出発は困難は付き物かもしれません。この井戸掘り事業が成功するのか、失敗するのかは、正直、自分にはなんとも言えません。1ヶ月間で、掘れた井戸があったことも事実だし、機材が何度も壊れたことも事実です。でも、「挑戦なくして成果なし」の言葉にもあるように、やってみなくては村の人たちの生活は今のまま何も変わらないと思いました。村には井戸が、コミューンの中心部付近では1軒に1基あるかないか、また、コミューンの中心部から外れた村では5軒に1基あるかないかくらいの割合でありました。中心部から外れた村では、村の人がポリタンクを担いで井戸水を汲みに行く状況を見て、まだまだ井戸が少ないと思ったものの、コミューン全体の井戸の数としては思ったよりも多い印象を受けました。たくさんある井戸の中で、JMASが掘るのにかかわった井戸以外にも、国連の活動で日本のODA資金を使って掘った井戸も何個か見かける機会がありました。井戸は、数年経てば整備が必要になり、形あるものは壊れるので修理が必要になる。でも、村民には直せないので壊れたら壊れたままになる。それが数年前までの村の状況だったそうです。村で井戸を掘り、整備し、修理できることを目指しているJMASの取り組みを見ていると、国連が、井戸の整備・修理ができる人間を養成せず、作ったままになった井戸は、まさに垂れ流し支援だったように思えました。
5.GO-MIXプロジェクトについて
コミューンでは1年間の計画で、GO-MIXプロジェクトというゴミをゼロにする活動に取り組んでいたので、自分もプロジェクト委員の一人として参加することができました。コミューンの人々には、「ゴミはゴミ箱に捨てる」という感覚が無く、プラスチック類やビン、缶などが村のあちこちに落ちていました。そこで、高山さんや、各村の村長さん、環境大臣と呼ばれる各村のゴミ問題担当者たちを中心にして、村に落ちているゴミをゼロにしようという運動をしていました。その成果もあって村のあちこちにゴミ箱や、「村をきれいにしよう」という意味の書いた看板ができていました。また、6月5日にはみんなが自慢のゴミ箱を持ち寄って村の広場でゴミ箱のコンテストがありました。でも、ゴミ箱は作ったものの、ゴミは拾わず、ゴミ箱を活用できていない人が多いのが実情でした。そこで、自分は高山さんのアイディアで、コミューンを構成する6つの村を順番にゴミ拾い活動をして回りました。デクラホーム(9日)オーチョムロン(10日)オーアンロ(11日)サマキ(12日・13日)オートロチェッチェ(15日・16日)オータクラ(18日・19日)の順番に回りました。各村の村長さんや、環境大臣、近所の子供達が一緒にゴミを拾ってくれました。サマキの村長さんは、「日本人がわざわざサマキまで来てゴミを拾っているのに、どうして自分達カンボジア人がゴミを拾わないのか」と小学校で熱く語っていた熱心さは、言葉はほとんど理解できない自分にも伝わってきて、うれしく思いました。村民の中には、ゴミ拾い活動に理解を示し、一緒にゴミを拾ってくれる人もいましたが、ゴミは環境大臣が拾うものと決め付けて、ゴミを自分で拾おうとしない人もいました。また、サマキやオートロチェッチェの人々にはゴミ拾い活動があまり広まってなくって、ゴミ箱が少なかったのがこれからの課題だと思います。日本では「ゴミはゴミ箱に捨てる」という当たり前のようなことでも、もともとそのような文化や風習が無い人々にとっては、1年間での意識改革は大変だと思います。それでも、自分がゴミを拾って回ったところが、ゴミの無いきれいな状態に保たれていた時にはうれしく思いました。カンボジアに来てゴミ拾いをするとは思っていませんでしたが、少しでもコミューンの人たちの意識改革の役に立てたかと思うと、参加できてよかったです。
6.タサエンコミューンでの生活について
コミューンでの生活は、日本では体験したことのないことの連続でした。ヘビを食べたり、井戸で体を洗ったりなど、毎日が新しい新鮮なことだらけで戸惑うことも多かったです。
文化や風習は、気候や歴史が変われば全然違うもので、本来なら、日本で生まれ育った自分には1ヶ月間では計り知れないほど文化や風習は日本とは違うことばかりでしたが、高山さんや高田さん、ミェンさんやヴァンナさんなど、JMASのタサエン現地スタッフのみなさんのおかげで、とても多くの経験をすることができました。また、1ヶ月間のカンボジアでの生活の中で、12日から13日にかけてのサマキや15・16日のオートロチェッチェ、18・19日のオータクラでは、村長さんや副村長さんの家に1泊することができ、実際にカンボジアの人々の生活ぶりを身をもって体験することができました。実際にカンボジアに来てみて、1ヶ月間生活することを通して、カンボジアの人々の寛大さや、他人を思いやる気持ち、などは、とてもいいことだと感じた一方で、逆に、カンボジアの人の時間感覚の無さ、行き当たりばったりな日常生活など、理解に苦しむことも多くて、生まれ育った日本と比較しながら、「国際理解」ということが口で言うよりもどんなに難しいことかを考えさせられました。実際にカンボジアで1ヶ月間生活した経験は、本を読んだりインターネットで調べたりしただけでは決して得ることのできない、貴重な経験になりました。
7.JMASの宿舎での生活について
JMASの宿舎では、JMASスタッフや、ハウスキーパーのヴァンちゃん、警備の人達、近所の人達などたくさんの人のおかげで安全で楽しい快適な生活を送ることができました。
ヴァンちゃんの料理や村人からの差し入れ、毎日のように食べるトウモロコシなど、食の面で困ることも無く、2頭の犬や1匹の猫、鶏やヤモリといった多くの動物達にも囲まれ、近所の子供達が遊びに来るといった生活は、とても充実していました。それを実感したのが、サマキ、オートロチェッチェ、オータクラでそれぞれ1泊ずつして宿舎に帰ってきたときでした。研修初日、タイから車で来た時は、かなり辺鄙なところにきたという印象を受けましたが、次第に宿舎は、ホッと安心できる我が家みたいな存在に感じるようになりました。宿舎での1ヶ月の生活の間に、水掛け風呂や雨漏り、1週間で1番しんどい日曜日の午後など、たくさんの思い出ができました。
8.研修で感じたこと
「日本の尺度が世界共通の基準ではない」 -
たとえば、カンボジアでは共産主義の全ての物はみんなのものだという意識があるので、近所の子供が勝手に家に上がってきて冷蔵庫を開けたとしても平気だし、自然に任せているので、交通事故にあった人が血を流して倒れていても親戚の人が現れるか自力で病院にいくまで放っておきます。そのようなことは日本人にとっては常識から外れたことで信じられないことかもしれません。でも、世界には世界通りの物事の考え方・尺度が存在しています。研修当初は、日本の常識という尺度しか知らなかった自分にとって、日本の尺度で見れば、タサエンでの生活は信じられないことばかりでした。犬はおいしい食べ物であるという(食べる人と食べない人がいる)カンボジアの尺度には抵抗があり、自分は今でも食べることはできませんが、そういうものの見方・尺度の違いを理解することが国際理解の基本ではないかと思いました。
「カンボジアは日本よりも幸せ」 -
もちろん、物資の面や経済力、福祉や衛生面など、日本が恵まれていることの方が多いのは誰の目から見ても明らかです。でも、カンボジアの人の方が幸せそうに生活しています。お金が無いならお金が無いなりに、食べ物が無いなら食べ物が無いなりに、みんながそれぞれその日その日を楽しそうに生きていました。子供達はみんな活き活きとしていたし、大人達はたくましく生活していました。基準が無いのでうまくは言えませんが、カンボジアの人がかわいそうだとは思えませんでした。あと、カンボジアの夜空は星がたくさんあってきれいでした。田舎と思っていた自分の家で見る星よりも数も多いし、きれいに光っていたのはうらやましいと思いました。
「カンボジアの食文化について」 -
カンボジアの料理は辛いかすっぱい味のものが多いです。タイ料理ほど辛いわけではないけど、日本食よりは確実に辛いです。もともと辛口の料理を辛いタレに浸けて食べます。スープ系の料理は酸っぱいです。それに、日本では落ち葉としか扱われないような葉っぱを香草や野菜として扱います。米は日本よりもかなり安いです。それにカンボジアの人はかなりの量のごはんを食べます。果物は、マンゴーやスイカ、ドリアン、ジャックフルーツなど、南国系の果物がいろいろありました。バナナの木は一度収穫したら切り倒すことはカンボジアに来て初めて知りました。トウモロコシを食べない日はないというくらいほとんど毎日食べました。それに、そのトウモロコシは近くの畑から取ってきたものがほとんどです。みんなのものなので少しならかまわないという考え方からだと思います。子供達はおいしいと言って勧めてくれる木の実のほとんどが渋い味のものでした。コーヒーは砂糖を多く入れるのでかなり甘かったです。
「言葉は使わないとずっと使えない」 -
カンボジアに来て一番困ったことは言葉でした。カンボジアが英語圏の国ならある程度は助かったかもしれませんが、カンボジアはクメール語の国なので、言葉は本当にゼロからの出発でした。最初はこんにちはの挨拶もできないくらいでしたが、子供達と遊ぶ時や6村をゴミ拾いして回った時など、主に子供達が言葉の先生になってくれて、発音も直されながら、徐々に言葉を覚えることができました。1ヶ月間生活してみて、言葉の重要性を実感しました。
9.最後に
研修を通して思ったことは、多くの人のサポートがあって研修ができたことに感謝しないといけないということでした。自分独りの力では、この研修は成功どころか実現さえもしていなかっただろうと思います。いろんな人に支えられて研修することができたのだという感謝を恩返しする形は、自分が人として1まわりも2まわりも大きく成長することだと思います。そうした意味での恩返しができるように、この研修をこれからの生活に活かしたいです。また、研修の1ヶ月の間に村の人たちから「またタサエンに来ますか」と質問されて、返事に困ったことが何度もありました。「来ます」と言っても約束できるわけではないし、来れる確証がない、でもタサエンの良さを体感してからは、もう来ないわけにはいかないと思うようにもなりました。うそつきにはなりたくないので「もう一度来る」と言うことはできないけど、「また来たい」そう思える研修でした。研修できて本当に良かったと思います。ありがとうございました。



