アフガン報告(21~30)

2015/3/20

2008/1/6

チーフ・プログラム・オフィサー
青木 健太

地雷処理の現場から(5)
新しい地雷原 MF150、MF176
 


↑地雷原150SP(Starting Point)

 新しい地雷原は、旧ソ連が弾薬を保管する為の野外倉庫があった
場所と推測される。敵の侵入を防ぐ為に地雷が埋められた。


↑整然と並ぶマーキングストーン。
赤色は「
Uncleared

Area(未処理地域)」を示す。


↑トラックの降車場と推測される。長い年月が経ち、塹壕や降車場も風化している。


↑黄色の石は「爆破処理前に地雷があった場所」を表す。
マイン・ベルトが手に取るようにわかる。

Afghan No21

 



Afghan No22

2008/1/19

チーフ・プログラム・オフィサー
青木 健太

地雷処理の現場から(6) 屋根のない学校

2007年12月21日


↑地雷処理員宿営地の近くにある学校の関係者。


↑学校の建物外観。


↑屋根のない学校。


↑黒板だけが虚しく残っている。


↑屋根のある建物の中。天井がしなっていて非常に危険である。


↑しなる天井。子供たちの身の安全の確保が急務だ。


↑比較的きれいな教室。


↑学校の関係者。


↑物腰が非常に柔らかい先生。


↑この学校で学ぶ子供。聡明そうな眼をしている。


↑アフガニスタンの将来はキミたちの肩にかかっている。

Afhgan No22

 



 

Afghan No23

2008/3/2

アフガニスタン現地代表
小 森 重 信

アフガニスタン雑感

 昨年12月中旬のアフガニスタン出張から2ヶ月以上過ぎて、久し振りにアフガ ニスタンに入った。現地のスタッフは全員大歓迎で、「早くイスラマバードからの遠隔操作を止めてカブールに帰って来い」と言っていた。久し振りで戦友に 会ったような気持ちで、グッと来るものあった。

寒々としたカブール事務所中庭(2月) 事務所内でのスタッフの食事(2月)

  カブール到着翌日、早朝5時、暗闇の中をカブール北方70キロのバグラムの地雷処理現場に赴いた。処理員達は寒風の中、いつもと同じ様に宿営地での地雷処 理装備品の積載から処理現場への車両行進、現場到着後のアッラーの神への祈り、リーダーによる作業指示、更には隊伍を組んでの各自の持ち場への前進・作業 開始等整斉と行動していた。これらの一連の行動を視察し、頼もしく感じた。また、この練度を維持するのは難しいが、必ずやり遂げなければならないと決意を 新たにした次第である。

朝の作業指示(2月) 処理作業を点検するコマンドスタッフ(2月)

  地雷処理作業を一通り見た後、地雷原に隣接する部落や近くの避難民部落を訪れた。彼等もJMASの仕事に感謝するとともに、「日本人は我々が守るから部落 に住め」とありがたい言葉であった。本当に貧しいながら、我々をお茶に誘い、貴重なお菓子をご馳走してくれた。客人を最大限にもてなすのはアフガニスタン の良き伝統である。彼等が望むものは安定した職業であるが、悲しいかなほぼ全員無職に近い。無職=貧困は治安悪化の最大の原因であるが、治安が安定しない 限り雇用の創出は望めないのも事実である。

廃墟と化したダルラマン宮殿(昨年4月) 建設中のモスクとガソリンスタンド(昨年12月)

  現地の治安情勢は外国人にとって厳しくなっていることは確かである。他組織の国際スタッフも、セレナホテルの襲撃事案以来レストランでの食事やスーパーで の買い物はほとんどしていないとのことである。この様な情勢にも拘らず、民間会社のFGCさんやNGOのAARさん等がカブールで頑張っておられた。彼等 も治安の悪化を憂いでいたが、それ以上にアフガニスタンが日本から忘れ去られるのを危惧していたのは印象的であった。

 アフガニスタンは当分の間、国際社会の援助を必要とするのは明確であるが、援助がアフガニスタンの自立を阻害している面も否定できない事実である。ここに、援助は如何にあるべきか考えさせられる。

平成20年3月1日

      イスラマバードにて   
現地代表  小森 重信

Afghan No23

 



 

Afghn No24

2008/5/25

アフガニスタン
チーフ・プログラム・オフィサー
青 木 健 太

地雷処理の現場から(7)
~アフガニスタンで感じた新しい息吹~

2008年5月8日~15日の間、約3ヶ月ぶりにアフガニスタンの首都カブール を訪れた。3ヶ月ぶりとは言っても、前回の2月の出張では、ほとんどの時間を銀行業務や現地スタッフへの会計指導に費やしたので、実質的には昨年12月以 来、6ヶ月振りの訪問と言っても差し支えないほど久しぶりのカブール現地入りだった。7泊8日のスケジュールの間、前後2日間は移動日、中6日の内3日間 は物品管理検査に費やし、残りの3日間は、本部出張者受け入れ、プロジェクトサイト視察、及び、在アフガニスタン日本国大使館、提携団体である DDG(Danish Demining Group)、日本のNGO等、関係各所への挨拶を行った。

 昨年7月末にアフガニスタン全土が退避勧告地域になったことに伴い、イスラマ バードから事業を遠隔操作することになり、その為、事業運営に必要な事務手続きに関して、ファイナンス・ロジスティクス・HR等の全ての面で遠隔操作体制 に合う形に適応し直す必要が生じた。今回の物品管理検査では、主に、

(1) 帳簿と現物の一致の確認
(2) 今期事業で調達した装備品の確認
(3) 装備品の損耗時期を見積り、来期事業の予算申請に活かす

の3点を目的としてカブール事務所とバグラム宿営地にて検査が行われた。

地雷処理関連機材の損耗状態を確認し、将来の購入計画に反映させる

  5月9日~11日の3日間かけて、カブール事務所とバグラム宿営地の全ての機材の点検を終えた。来期事業のプロポーザル作成の情報としても有効だったが、 定期的な検査は、日本人がいない中で現地スタッフが道具を紛失していないか、ダメージを与えていないか、不正な使用をしていないか等へのチェック機能にも なり得る。ファイナンスにおける外部監査と同様、ロジスティクスにおける内部監査も、遠隔操作体制では非常に重要である。

 外部機関との折衝では、在アフガニスタン日本国大使へ表敬訪問を行った。ま た、提携団体のDDGと2回ミーティングを持ち、アフガニスタンにおける地雷処理業界の全般情勢の変化や、それに合わせたチームの編成変えなどについて協 議を行った。また、アフガニスタンで活動する日本人とも交流を図り、治安情勢や全般経済情勢など、今後の活動に深く関わることを中心として情報交換を行っ た。

 地雷処理に関して言えば、これまで南部で活動していた地雷処理団体が、治安の 悪化から中央地区に集まり始めている傾向にあることや、MCT(Mine Clearance Team)からDT(Demining Team)への移行を勧めて、一つのチームがマニュアル地雷処理だけではなくEODの機能など、多機能を持ったチームになることが求められるようになった 事などの情報を得た。これは、ある地区で活動する場合、地雷処理なら地雷処理だけをするのではなく、その地区全ての地雷対策活動を完了させる Village by Village或いはDistrict by Districtという方針が強化された為である。やはり現場にいないと、入ってくる情報の遅れは避けられないことを感じた。

 今回、約半年ぶりにカブールにやってきて見て、綺麗になった街並みや新しく出 来た建築物などを見て、ポジティブな印象を受けた。前に住んでいた時にはなかった雑貨店が新しく出来ていたり、銀行の支店やインターナショナル・スクール が住宅街の一角に新しく建設されていたりする場面をよく目にした。また、以前はカブール州の北にあるパルワン州のチャリカでしか目にしなかった3輪タク シーが、カブールにも入って来ているのを目にした。タイでいうところのトゥクトゥクと同じような乗り物で、庶民が足として既に利用しているようだった。燃 料費高騰や小麦不足による食料品価格の高騰など生活に著しい打撃を与える外的要因もあるが、しかし、カルザイ政権が出来て以降、比較的平和を享受している 首都カブールでは、経済成長の恩恵が生活の端々にでているような気がした。

 しかし、経済成長が見られるからといって生活が全体的に良くなっているかと言 うと、そう言い切るのは早計である。春以降、事件件数は少ないものの、外国人の誘拐や自爆テロ、IED攻撃などの反政府活動は後を絶たない。テロというの は日常空間を切り裂くように、突如として目の前に現れるものである。そして、人々に恐怖を与え、また、一見平和な生活が戻ってくる。しかし、その一見する と平和な日常生活は、いつテロという刃物によって切り裂かれるとも限らない。その予測不可能性と恐怖感こそがテロの恐ろしさなのである。

 一方で、建設ラッシュ、インフレーション、教育の向上など、発展に向かって行 く力が見られる。他方で、依然として人々を脅かし続ける治安関連事件が発生している。これらの相反する二つのベクトルを理解する複眼的な視点を持つこと は、アフガニスタンの現状を把握する為に、また、将来を予測する為にも必要不可欠である。

物が溢れる雑貨店の内部 新しく出来ていた銀行の支店
前は見られなかった3輪タクシー タクシーを利用する女性達

平成20年5月25日

Afghan No24

 



 

Afghan No25

2008/5/28

アフガニスタン
チーフ・プログラム・オフィサー
青 木 健 太

地雷処理の現場から(8)
~アフガニスタンにおける地雷処理活動 その1~
早朝5時30分、地雷処理機材を車両に積み込む地雷処理員 隊伍を組み、地雷原に向かう
旧ソ連軍が、アフガン侵攻時(1979~1989)に埋設した地雷が埋まる地雷原 地雷処理活動を行う地雷処理員
トローウェルで地面を掘削する 地雷を一つ取り除けば、一つの命が救われる
地雷探知機で金属反応を見る

平成20年5月28日

Afghan No25

 



 

Afghan No26

2008/5/28

アフガニスタン
チーフ・プログラム・オフィサー
青 木 健 太

地雷処理の現場から(9)
~アフガニスタンにおける地雷処理活動 その2~
地面から顔をのぞかせるPMN2(旧ソ連製衝撃式対人地雷) 地中に埋まるPMN2
マイン・マーカーで目印をつける 防護服と面頬を装着して、地雷原を行く
救急救命キットの中身を説明する看護士(左)とディマイニング・オフィサー(右) 埋設から約20年経過し、地表でひっくり返っているPMN
「黒い未亡人」という俗称も持つPMN(旧ソ連製衝撃式対人地雷)

平成20年5月28日  

Afghan No26

 



 

Afghan No27

2008/5/28

 アフガニスタン
チーフ・プログラム・オフィサー
青 木 健 太

地雷処理の現場から(10)
~アフガニスタンにおける地雷処理活動 その3~
地雷原でみつかったPMN2が入っていたと思われる発砲スチロール容器 この地雷原では、旧ソ連軍の弾薬が保管・貯蔵されていた
AMACを通じて、現地NGOのOMARから支援を受けている地雷処理機 地雷原近くにある、イラン・パキスタンからの帰還民キャンプ
地雷原近くで放牧をする遊牧民の少女と子羊の群れ 井戸から水を汲む少女
オヤジたちの国際貢献

平成20年5月28日

Afghan No27

 



 

Afghan No28

2008/8/13

アフガニスタン
地雷処理専門家
奥 村 信 司

サラーム アレイコム

 筧新アフガン代表の挨拶は、“サラーム アレイコム”で始まった!!

筧新代表は8月8日バグラム宿営地に赴き、地雷処理員を前に就任の挨拶を行った。また、青木CPOと横山新CPOとの交代の挨拶も行われた。

筧新代表は就任にあたって2つのことを要望した。

1. 基本に忠実であること

2. アフガン復興に取りくむ仲間同士仲良くすること。

そして、共通のゴールに向かって一緒に進もう。と力強く挨拶した。

就任の挨拶をする筧代表 代表の言葉を翻訳するデマイニングオフィサー ジェラニー
神妙な面持ちの処理隊員達 青木CPOの離任と横山新CPOの就任挨拶
宿営地前での記念撮影

Afghan No28

 



 

Afghan No29

2008/8/18

アフガニスタン
地雷処理専門家
奥 村 信 司

地雷啓蒙教育

 地雷・不発弾の被害を減少させるために、地雷・不発弾の処理と合わせて地雷・不発弾の危険性を知らせる啓蒙教育は大変重要な仕事である。

 地雷処理の合間をぬって地雷原のすぐ傍にある遊牧民の村に出かけて子供たちに説明する。大勢の子供たちが集まったが、どこの国でも子供たちはほんとうに明るい。

地雷原に隣接する遊牧民村の子供たちに地雷、不発弾の危険性を説明するジェラニー 事故の防止のため熱心に説明する。
セクションリーダーも啓蒙教育を側面から支援、こちらも真剣 参加者には、JMASの帽子と啓蒙用のパンフレットを配布
JMASの帽子をかぶりカライゴライ村の子供たちもうれしそう。
筧新代表も協力してくれました。

Afghan No29

 



 

Afghan No30

2008/8/22

アフガニスタン 現地代表
筧  隆 保

青木チーフプロジェクトオフィサーの辞任

 8月15日付けでアフガニスタン地雷処理事業チーフプロジェクトオフィサーと して、約3年間活躍した青木健太氏が新しい職場に転出する。氏はJMASがアフガニスタンで事業を始めた当初から主として会計業務で卓越した語学能力と緻 密な思考力をもって事業の成功に多大の貢献をした。今後ますますの活躍を期待したい。


JENの柴田代表はじめJENスタッフとのお別れ会


富士総合現地代表柳沢様とのお別れ会


横山新CPOとの交代挨拶


事務所スタッフと別れを惜しむ青木CPO


事務所スタッフとの記念撮影

Afghan No30