006/11/28
カブール事務所
地雷処理専門家 奥村 信司
大詰めは、倉庫として使用するコンテナの設置作業。この設置作業の為に手配した、日本製の中古クレーンを使用して宿舎敷地内にコンテナの設置作業を開始。やはり、クレーンの故障!2時間程度の中断を挟んで何とか日没までには、作業終了できたようだ。
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いざ、引越先の宿舎へ | 日ごろの訓練の賜物 “チームワーク” |
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クレーンで吊出し | 設置OK! |
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ごくろうさま | 山の頂上には雪がチラホラ |
Afghan No1
Afghan No2
2006/11/29
カブール事務所
経理主任(現地代表代行)
青木 健太
「アフガニスタン地雷除去プロジェクトの胎動」
地雷除去員達は、移動の疲れも見せず、アドミニストレーションを淡々とこなした。初日は、 簡単な挨拶の後、出席の確認、労働条件の説明、雇用契約の締結などを行った。これからは、地雷探知機、防護服、ヘルメットなどの配布を順次行い、12月頭 から訓練を開始する予定となっている。訓練が終われば、天候不良などがない限り、12月中にも実際の地雷除去活動を開始する運びとなる。元兵士ならではの 規律とチームワークを生かしたJMASならではの地雷除去プロジェクトが、アフガニスタンで始まろうとしている。
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はるばるサラン峠を越えてバグラムにやって来た地雷除去員達 | |
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標高が高い場所では雪が既に積もっている | 薪を使用した暖房で温まるスタッフ |
Afghan No2
Afghan No3
2006/12/05
カブール事務所
地雷処理専門家 奥村 信司
「地雷原の雪化粧」
除去作業を待ちわびている村人の為と張り切って訓練に望む除去員37名も、今は、雪を避け室内で講師の話に耳を傾け、雪の止むのを待っている。
晴れ間の雪解けを待ち、除去員の活動は開始される。
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雪で地雷原の境界を示す石も隠れてしまっている | 羊飼いも傘をさして羊を追っている |
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雪を避け室内で地雷探知機の訓練 | ウールの毛皮で雪でも寒さ知らず |
Afghan No3
Afghan No4
2006/12/11
カブール事務所
経理主任(現地代表代行) 青木 健太
「毎週金曜日は礼拝の日」
宿営地で合宿生活をする地雷除去員達にとっても、それは例外ではない。地雷除去ミッションの最中でも、金曜日は地雷除去機材や車輌のメンテナンス、そして礼拝に当てられる。
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歯を磨く地雷除去員 | スケジュールを確認するチームリーダー |
午前10時30分~12時30分 地雷除去機材メンテナンス
午前12時30分~13時00分 車輌メンテナンス
朝8時から、地雷除去員達は一つの部屋に集まり、聖典コーラン読会を開く。或る者は目を閉 じながら、或る者は胸に手を当てながら神への祈りを捧げる。地雷除去は危険と隣り合わせの仕事である。国際的な規格や、地域的な規格によって厳格に定めら れた作業手順が存在するが、どれだけ作業手順に従順に従っても、事故の可能性がゼロになることはない。我々が出来る事は、事故の可能性を限りなくゼロに近 づけることだけなのである。ひょっとしたら、地雷除去員達は無事故で家族と再会できるように祈っているのかもしれない。そう考えたら、少し指先が冷たく なったような気がした。

彼は一体どんな祈りを捧げているのだろうか
休憩の後は、金属探知機、プロテクター、ヘルメットなどの地雷除去機材のメンテナンスが入 念に行われる。金属探知機が正常に作動しなければ、命取りだ。また、装備品の欠損によりオペレーションが停止しないよう、消耗が激しい装備品などもチェッ クし、早めに物資調達の手配を行う。地雷原と宿営地を往復する車輌についても同様だ。
機材メンテナンスの様子
こうして金曜日に、礼 拝を行い、機材メンテナンス等の準備を行った後、土曜日から木曜日までの6日間、地雷原での除去活動を行うことになる。地雷除去機材を初めとした物質面で の準備、そして、地雷除去員一人一人の精神面での準備。これらは地雷除去活動を行う上で重要なミッションの一部である。地雷原へ出る為の周到な準備が行わ れる日、それがアフガニスタンの金曜日なのだ。
Afghan No4
Afghan No5
2006/12/26
カブール事務所
経理主任(現地代表代行) 青木 健太
「新しい事務所へ引っ越しました」
2006年12月25日カブール事務所は新しい場所へ引越しをしました。
現在のアフガニスタンは、一時、雪が止んでいたのですが数日前からまた、降り始めた雪が降り続いていて積雪は約50センチに達しています。
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事務所の正面 | 事務所内の様子 |
別棟ローカル宿舎
Afghan No5
Afghan No6
2007/2/5
カブール事務所
地雷処理専門家 奥村 信司
「義足の除去員」
靴下をしっかり履かせ た義足と慣れた歩きぶり、セクションリーダーとしての熱心な仕事振りからは、彼が、事故で左足をなくしていると気がつく人はほとんど居ないのではないかと 思う。しかし、シャモハマドは、今から10年以上前に地雷による事故で、左足の脛から下の部分を失っている。

同じ道を毎日通り、他の多くの人々も同じ道を使っているので、まさかあそこに地雷が埋まっているとは思わなかったと語っています。除去を担当した団体も事故があった場所を地雷原と認識していなかったようで、その後も、付近で数件の事故が発生したと報告されています。
彼独自の事故の分析で は、地中深くに設置された地雷は、乾燥して硬く固まっている状態の土壌では、通行人の体重を感じて爆発する事ができなかったが、雨により地盤が緩んだ事 で、その時運悪く通過した、彼の体重を感知したと言っていますが、同様の事故は、アフガン全土でもいくつか報告されていて、非常にまれなケースとは言えな いようです。
Afghan No6
Afghan No7
2007/2/13
地雷処理専門家 奥村 信司
「文房具の配布」
子供だけでなく、大人も欲しいと、半分暴徒となってしまうぐらいの人気でした。


Afghan No8
2007/2/14
青木 健太
~ペシャワールを訪れて~
(前編)」
2007年1月中旬、ペシャワールを訪れた。ペシャワールはパキスタンの中でもアフガン難民が最も多く住む都市で、街を歩いていると、ここはアフガニスタンかと見紛うような光景に出会うことがしばしばであった。

↑チャードリーを被った女性、土作りの壁。アフガニスタンの景色そのままだ。
パキスタン人のビジネ スパートナー、タリック氏の案内で、アフガニスタン人が多く住む地域を2箇所案内してもらった。1箇所目は、ボールド・バザール。バザールとは市場のこと で、肉屋、八百屋、洋服屋など生活に必要なものが全て揃っている。このバザールのほぼ全ての店がアフガニスタン人によって経営されており、中に一歩踏み入 れるとそこはまさにアフガニスタンであった。

↑ボールド・バザールの様子。
続いて、難民キャンプのカチャ・ガラ・キャンプを訪問した。キャンプというとテント生活を想像させるが、土作りの家が立ち並ぶ住宅街であった。

↑カチャ・ガラ・キャンプの様子。
タリック氏の通訳で、 キャンプ内で小麦粉の製粉をしている青年に声をかけた。ここのキャンプで生まれ、25歳の現在までこのキャンプで育ったのだという。クラス12(高等学校 卒業程度)を修了し、今は小麦粉の製粉をして家族を助けているとのことだった。アフガニスタンに帰りたいかとの質問に、「ここにいる人で帰りたくないと 思ってる人なんていないよ」、との返事があった。母国に帰りたくない人なんていない。当たり前の言葉がずしんと胸に響いた。

↑インタビューに協力してくれた青年(写真一番左)
カチャ・ガラ・キャンプを出て、車に乗っていると、車窓から木の箱を売るお店が見えた。店 先にいくつもの人型をした木製の箱が並んでいる。タリック氏に質問すると彼は言った。「あれは棺桶だよ」。「ペシャワールに住むアフガニスタン人は皆、死 んだ時はパキスタンではなく、生まれた土地アフガニスタンで埋葬してくれって言うんだ」。棺桶に入り、車のトランクで揺られながら祖国に帰る様子を想像し てみた。大国の利害、権力闘争、イスラム原理主義、そんな大儀を理由に始められた戦争によって、戦火から逃げ惑った人々の気持ち、そしてその人々のとても 長い母国から遠く離れた場所での生活を想像して、やるせない気持ちになった。

Afghan No8
Afghan No9
2007/2/14
青木 健太
~ペシャワールを訪れて~
(後編)」
カチャ・ガラ・キャン プでマドラサ(イスラム教の神学校)を目にした。パキスタン国境付近のマドラサと聞くと、イスラム原理主義テロリストを養成しアフガニスタンに送り込む本 拠地だという印象が強いので、少し気を張っていた。しかし、実際に目にしたマドラサは穏やかな雰囲気に包まれたどこにでもありそうなモスクだった。確か に、原理主義者を養成するマドラサも何処かにあるのかもしれない。しかし、全てのマドラサがそうであるというわけではない。メディアというフィルターを通 じての情報と現実とのギャップを知った。

↑カチャ・ガラ・キャンプ内のマドラサの様子。
ペシャワールでの滞在 は1泊2日だったので、見ることができる部分が非常に限られていると言わざるを得なかった。しかし、何度も訪れたことがあるイスラマバードとは違う刺激を 得られた収穫のある訪問だった。また、活動国の周辺を見ることでアフガニスタンに対する理解を深めることができた有意義な訪問であった。名残を惜しむよう に、韓国のバス会社大宇の運行するバスに載り、ペシャワールを後にした。

↑イスラマバード-ペシャワール間を運行する大宇(Daewoo)のバス。バスガイドも添乗してくれる。
地雷除去がなければ難民帰還は困難であり、難民帰還が達成されなければアフガニスタンの復興への道のりは果てしなく遠い。地雷除去と難民帰還の関係性、そして、自らが携わる地雷・不発弾除去事業と平和構築との連続性を再確認したペシャワール訪問だった。




(了)
Afghan No9
Afghan No10
2007/2/16
青木 健太
「地雷除去作業開始報告」
2007年2月13日、アフガニスタンにおいて実際の地雷除去作業が開始されました。積雪の影響で作業を延期していましたが、天候の回復に伴い、遂に作業開始をする運びとなりました。今後ともJMASのアフガニスタンでの取り組みを暖かく見守って頂ければ幸いです。


(了)