不発弾による事故例

2015/3/16

2003/02/19

JMAS現地事務所から「住民の不発弾による死亡事故発生!」という悲しいニュースが入ってきました。

以下その細部をお伝えします。


1 発生現場:プレイベン州コンポンリウ郡チュントック集合村(参考:JMASのプレイベン・サイトから車で20分北上した地点)
2 発生日時:2003年2月10日(月) 15:35 爆発事故 16:40 近傍の病院に搬送
 搬送直後に死亡!

3 被害者:Bさん 警察発表25歳、(実母の証言では28歳!)、31歳の妻と子供(1歳)

4 事故の状況 (証言はチュントックコー村村長と事故目撃の第1発見者のHさんによるもの)   2月10日午後、Bさんは、刈り入れの済んだ乾ききった田んぼでベトナム製の金属探知機(約20ドル)を使用し金属屑を集めていた。金属探知機が反応すると、鍬で土を掘り起こし、鉄片などを袋につめる作業をしていた。

 その時、Bさんは既に不発弾を所持しており、その不発弾を右手に持ち、鍬の先にガンガンと叩き始めたのです。

 これを見ていた、第1発見者のHさんは、怖ろしくなり遠くの木陰まで避難しましたが、まだBさんは鍬に打ち続けていました。その瞬間に大きな爆発音が聞こえ、後から現場に行くと、Bさんは鍬の傍から約9m離れた場所で血まみれになって倒れていたのです。Bさんの両腕は吹き飛んでしまい、腰のあたりも大きな負傷を負っていました。

 JMAS隊員はただちに現場に急行し、事故調査に協力しました。

 事故直後の生々しい現場を見た隊員達は、「毎日不発弾の回収・運搬・爆破処理を実施している私達でさえ、改めて不発弾の恐ろしさを感じ、手足の振るえが止まらなかった。」と報告してきています。

 JMASの島田現地代表と佐藤調整員が12日にプレイベンに入りBさんの実家を訪れ、弔問しました。

 この時の、ご遺族の悲しい様子や何故Bさんは危険な不発弾を扱わなければならなかったのか?について次回に皆さんに報告いたします。

 JMASがプレイベンで不発弾処理の活動を始めてから7ヵ月間、ここプレイベン州での不発弾による住民に事故は皆無でした。 そして、爆破処理数もまもなく5,000発にもなろうかしており、順調な作業の進捗に向け頑張ろう!とJMASのスタッフ全員が新たな気持ちで取り組んでいた矢先の事故に、現地スタッフ達は言葉を失いました。

それでも、事故発生の第1報を受け、現場に車を走らせたのは「不発弾には触るな!」のメッセージを村人に伝えたかったからです。それがJMASに課せられた責任の1つでもあるとの想いからでした。 

現場に残れたBさんの遺品と当日集めていた金属片が散乱していた。
不発弾を叩きつけた鍬もバラバラになっている。
ベトナム製の金属探知機!
(写真のものはBさんのものではない)
他の青年の持ち物です。

40mmてき弾(M79)の内部にある
ライナー(銅製)と弾殻のアルミ部の破片(写真右)

事故現場!の景況