2010年11月6日付け「Vientian Times」にラオスにおけるJMASの不発弾処理事業に関する紹介記事が掲載されました。
記事の邦訳を参考までに下記に記載します。
毎年雨期になると農民が水田の仕事を始める前に、不発弾を再移動することが知られています。
「より古く見える爆弾は水田の縁に移動するだけでお終いにする、ということがしばしば起こります。古い爆弾の方がより爆発しやすいと人々が信じているので、それ以上動かそうとしないのです。」とOummaさんは説明します。
毎年爆弾を水田から動かそうとして、多くの人々が傷ついたり亡くなったりしています。
UXOラオスによると、日本地雷処理を支援する会(JMAS)は、2006年から2011年の間にシェンクアン県で不発弾除去プロジェクトを推進中です。
JMASは、開発中の場所で生活している人々が、より安全でより平和な生活を楽しめるようにすることを目的とする「ラオス政府のラオス不発弾処理プログラム」に協力するプロジェクトを行っています。
「JMASの技術的支援によって、犠牲者の数を減らすことができ、不発弾によって被害を受けている地域社会に明るい未来を築くことを可能としています。 このことによって州政府としても開発を順調に進めることができています。」とラオス州政府の不発弾調整係のKingpet Phimmavonさんは言います。
「ラオスの不発弾問題は量的に大規模なものです。爆弾の存在が地域の人々の生命を脅かすのみならず、農業や産業の開発を妨げています。」とも彼は言います。
そういうわけで、政府は不発弾処理の問題を優先させ、公私の分野で、友好国や国際関係機関からの外部的支援と政府の保有する資源を組み合わせて投入しようと試みています。
1995年に政府は、UNDPと共同して国家中央運営委員会に特別信託基金を設立し、1996年にラオスにおける不発弾処理活動を支援するように動員することを設定しました。
不発弾処理活動が始まってから14年間で、農業用や開発のために25,000ないし26,000ヘクタールの土地の不発弾が除去されました。
しかしながら、ラオス不発弾及び地雷処理に関する国家の調整責任者によれば、それは不発弾に汚染されたラオスの土地の僅か1%が除去されたに過ぎないと見積もられています。
1964年から1973年の間に200万トン以上の砲弾が国土に投下されました。その中には2億8,800万個のクラスター弾の子弾が含まれています。そしてインドシナ戦争が終わった後には、約7,500万個の不発弾がラオスの国中に残されてしまいました。
戦争の結果としてラオスは、一人当たりにすると世界の中で最も多く爆弾を投下された国になりました。
右上写真説明「ボンビーという爆弾は起爆すると、予期しない人を傷つけ身障者にする200個以上の榴弾を放出します。」
左下写真説明「シェンクアン県の子供達は、その不発弾に汚染された地区を歩いて通り抜けているのです。」