地雷処理現場研修の所感文 (埼玉大・上智大学生)

2015/3/16

2007年9月10日~11日の間、カンボジア バッタンバン州カムリエン郡タサエン集合村で実施している住民参加型地雷処理事業を見学された埼玉大学理学部の中野貴之様が研修の感想をお寄せ下さいましたので、ご紹介します。

 「地雷除去の現場を訪れて」
埼玉大学理学部 
中野 貴之
 私が地雷に興味を持ったのは、10年ほど前に学校の授業でオタワ条約について取り上げられたことがきっかけでした。世界中には多くの地雷が埋まっており、その全てをなくすには長い年月を必要とする、という話を聞いたときにはショックを受けたのを今でも覚えています。
そのきっかけにより頭の片隅に地雷のことが頭にあり、テレビ等で地雷について特集をしているときは見たりしていました。

 今回、実際に現場を見ることで、テレビや書物では伝わらないことを感じることが出来たような気がします。デマイナーの方々の真剣な表情で地雷除去作業を行っている様子には、心を動かされました。自分たちの住んでいる土地を自分たちの手でよくしていこうとする、強い意志のようなものを感じました。
 そして何よりも、当たり前のことですが現場には人間がいる。地雷が埋まっている場所で地雷除去をしている人々がおり、さらには地雷の近くで普通の日常生活を営んでいる人々がいる。死と隣り合わせと言っても過言ではないでしょう。日本で安全に生活をしている私にとっては、衝撃のある風景でした。
 また、恐怖感も感じました。いたるところに地雷原のマークがあり、一歩間違えば死んでしまうという可能性が頭をよぎります。そして、目の前で発見された地雷を見た瞬間は、こんな小さなものが多くの人を苦しめているのだと思うと、なんとも言えない気持ちになりました。
 爆破も衝撃でした。低い姿勢をとって爆破を待つときは通常は感じることのできない緊張感につつまれました。爆破音の衝撃も大きなもので、地雷は人間を破壊する兵器に違いないのだと強く思いました。

 そして、なかなか接することの出来ない現地の人たちと夕食をともにし、共に踊り交流できたことはいい意味で刺激になりました。日本に暮らしていると、なかなか海外の人と接する機会が少なく感じます。そういう中で暮らしていて、外国人と聞くとどこか自分とは違う人間なのだという目で少なからず見てしまっていました。ですが、交流をすることで違う国に生まれ違う環境で育っていても、同じ人間なのだと感じ、カンボジアを近くに感じることができました。

 高山さんのおっしゃった「他人を思いやる心」というものを少しだけ分かったような気がします。カンボジア・タサエンでの経験の後、以前よりは家族のことを気にするようになったり、友達のことを気にとめたりするようになりました。
もちろん、まだまだそのような気持ちが足りないことを自覚していますが、自分の目指す「他人を思いやる心」に近づけるよう、精進して参ります。

 カンボジアで感じたこと、考えたこと、学んだことをこれからの生活に生かしていきたいと思います。そして、自分の周りに少しでも伝えていきたいと考えています。
学生という未熟な身分の人間に対し、危険な地雷除去の現場を見させていただき、本当に感謝しています。地雷のこと、そしてそれ以上に人間のことを学んだと感じています。貴重な経験をさせて頂き、ありがとうございました。

上記研修後タイからドイツ、ポーランドなどの研修を終え10月5日に日本に帰国された上智大学の学生さんからJMAS研修時の感想をお寄せ下さいましたので、ご紹介します。

JMAS研修所感

1.若林隆(大学1年)
 地雷除去作業は、危険な仕事なので、ボランティアでやってるいるものだと思っていましたが、実際に見学に行ってみて、れっきとした“仕事”であると思いました。現地の人々は地雷除去に生きがいを感じ、国をより安全にしようと頑張っていました。暑くてしんどい中、一生懸命働く姿からは、見習うことが多かったです。
2.菊田麻未(大学3年)
 地雷がたくさんあり
 貧しくて苦しく
 人々はきつく恐い

 そんなイメージを持っていた
 しかし違った
 地雷の数は減り、そこには海外そして現地の人々の計り知れな努力があった
 確かに貧しいのかもしれないが人々は明るく親しみやすい人ばかりだった
 時たま、数年前に内戦を体験した人たちだということを忘れてしまった
 しかし、内戦でたくさんの生死を体験したからこそ今の彼らがあるのかもしれない
 無知と先入観はマイナスしか生まないと地雷除去現場を体験し、人々に触れることで実感した
 過去の戦争をいまだ引きずり、負傷や死はまだ絶えない
 不安のない当たり前の生活をすべての人が送れるようになるためには、このような状況に陥るのにかかったよりはるかにたくさんの時間や労力が必要だろう
 私は地雷除去もできなければなにか具体的な行動ができるわけではない
 このことについて考えるほどに自分の無力さに落胆する
 しかしカンボジアで出会った人たちの笑顔や真剣な姿に触れることができ、無知や先入観を越えられたことは大きな収得だった
 またいつかあの仲間たちに会いたい

3.関歩実(大学1年)
 今回、地雷除去の現場の最前線を見学させていただいたのだが 、そこは想像していたような殺伐とした場所ではなく、作業している人と人との間には和気あいあいとした空気が流れていて 、私を驚かせた。
 何より印象に残っているのは、現場の人達の笑顔の爽やかさで 、それは自分達のやっている事の重要さ、尊さを礎とした、自信の表れなのではないだろうか。そしてその自信には、変な気負いが全く見られなかった。 その事が、自分達の生きる大地に地雷が埋まっている、という事実を彼らがどれだけ身近に感 じて生きているのかを私に教えてくれた。 目の前の現状をし っかりと受けとめ、強い笑顔で鉄くずひとつを掘り出すことか ら始めてその途方もない現状を変えていこうとしている人たちの集まり、それが私の見たCMAC、JAMSだった。

 忙しいお時間を割いて下さったスタッフの方々、本当に有難うございました。
 高山さんの志の高いお話は、聞いていて本当に感動しました。
 どうも有難うございました。

4.大坪理紗
  「普通の気持ちでした。」
 ある女性のディマイナーさんに、初めて本物の地雷を見つけたときはどんな気持ちになりましたか、そう聞いたときの答えでした。私は「怖かったです。」や「出てくるのは知っていたけれど、これが本物なのだと驚きました。」というような答えが返ってくると思っていたので驚きました。
 地雷は人の一生を変え、命まで奪う力を持つ小さな個体。たった1日、地雷原(といってもすでに除去された後の土地)を歩くだけでびくびくしてしまった私が見つけたら、きっと怖い気持ちになったと思います。
 緑一面、豊かな土地と地雷。あのどくろのマークがなかったら、なんて綺麗なんだろうと思ってしまうような場所でした。しかし、あの赤いどくろを見るたびに 、テレビじゃない、ここには本物の地雷があるのだと感じさせられました。
 高山さんは、ディマイナーさんの給料は月75ドル、退職金として30ドル出ると教えてくださいました。学校の先生が月30ドルくらいだということを考えると、賃金の高い仕事だとわかります。「畑が増えると嬉しい、というのは建前で 、高収入が嬉しいというのがディマイナーの本音かもしれないな」と高山さんはおっしゃっていました。それでも、あの肉体的・精神的に重労働な仕事を毎日行うことを想像すると、とてもつらいのだろうなと思います。
 見学させていただいた夜の宴会はとても楽しかったです。急な話だったのにたくさんのディマイナーさんたちが集まってくださって嬉しかったです。みんなで踊って、騒いで、酔っていることも暑いことも、この近くに地雷が埋まっていることも忘れてしまいそうになるほど楽しかったです。
 今まではテレビの特集でしか見たことのなかった地雷、ディマイナーさんたちの明るい笑顔、初めての経験をさせていただきましてありがとうございました。JMASの高山さん、高田さん、ソフミエンさん、CMACのみなさん、たくさんの方のご協力に感謝いたします。あのときの気持ちを自分だけのものにせず、家族、友人 、その他いろいろな人に聞かせたいと思います。
5.星大樹(大学1年)
 地雷除去作業を間近で見るという体験は日本では決してできない貴重なものでした。その土地の住民に積極的に除去作業に参加してもらうという考えは非常に共感でき、また、カンボジアの5、6年後を見ていてくれという言葉から高山さんの強い想いを感じました。今回させていただいた経験をこれから自分の中で活かしていくことが恩返しになると思っています、本当にありがとうございました。
6.安田菜津紀(大学3年)
 私が初めて地雷というものの存在を実感したのは高校生のときでした。
 ポイペトで手足のない子どもが雨の中うずくまっているのを見て、自分の無力さを感じていました。

 しかし何もできない、と決め付けるには早すぎると、今回地雷除去見学をさせていただいて実感できたのです。

 現地の人々の自立。
 私が未熟ながらも理想として考えている国際協力の姿がそこにありました。
 現地の人々自らの手で地雷のない村をつくる。
 彼らの姿を見て、私も背中を押したくなりました。

 私が直接的にできることは何もないかもしれない。
 けれど知り、伝える、写真展を開催する、自転車を送る、 「背中を押すこと」はたくさんできるかもしれない。

 最後に、高山さんに会えた私は本当に幸運です。
 けじめがあり、人情味がある高山さんの人間性に惹かれます。
 来年半年カンボジアにいる際、また是非お会いしましょう。