JMASカンボジア研修譚 (ブラッドフォード大学 修士課程在籍  高見修平様)

2015/3/16

 2009年11月9日~2009年12月31日の間、英国ブラッドフォード大学平和学部紛争解決学科修士課程在籍の高見修平さんが、JMASのカンボジア各事務所において平和構築のあり方、およびその現場の実態、それに携わる日本人の哲学などをテーマとして研修されました。
 その研修のレポートを頂きましたのでここにご紹介します。

JMASカンボジア研修譚
研修期間: 2009年11月9日~2009年12月31日
ブラッドフォード大学平和学部紛争解決学科修士課程在籍
高見修平
   1. はじめに
 今回の研修の受入、調整、実施においては、JMAS東京本部をはじめ、カンボジア各事務所(プノンペン、タサエン、バッタンバン、カンダール、コンポンスプー、コンポンチャム)のスタッフの方々の多大なる御協力なくしては有り得ないものでした。受入を快く承諾して下さったJMAS事務局長松尾和幸氏、並びに、日程調整を事細かに計画して頂いたJMASカンボジア代表古賀英松氏とこの機会を与えて下さったJMASパキスタン事務所櫻井佑樹氏に深く感謝致します。研修準備段階では、帰国中のJMAS専門家の方々にも各国の状況や分析等、懇切丁寧に御指南頂きました。また、実際に地雷不発弾処理を行なっているCambodia Mine Action Centre(以下CMAC) の隊員の方々全員の誠実なサポートがあってこそのインターンでもありました。その他にも、カンボジアで精力的に活動されている日本人、カンボジアを良い国に発展しようと御尽力されている外国人や訪問先で食事を提供して下さったカンボジアの人々等、本当に数え切れないほどの人々に大きな刺激を頂きました。この場をお借りしてカンボジアで出会った全ての人々に深い謝意を表明致します。本当に有難うございました。2. 研修に至る背景と目的
 今回のJMAS研修に至る理由とその目的は三つあります。
 第一に、僕は現在、上記大学院にて、紛争後における平和構築を専攻しています。概して、紛争後の疲弊したコミュニティにとって、インフラや雇用創出といった経済復興は最優先課題とされますが、より解決困難な問題は人々の心に横たわっています。戦禍によって家族を亡くした人々、レイプをされた女性や兵士として強制的に動員された子供等、そのような人々は心に大きな傷を負います。一旦肌に染み付いたトラウマは簡単には拭うことは出来ないのです。換言すれば、彼らにとっては戦中戦後という概念はなく、いつまでも「戦争」状態が続くのです。
 上記のように、人々の精神的ダメージは様々な要因によってもたらされますが、「戦後」を「戦中」足らしめる代表的なものが地雷や不発弾といった、戦後の段階でも人々を殺傷し得る戦争の遺物です。その負の遺産によって、人々は手足を失うといった身体的被害とそれから派生する精神的被害に悩まされます。僕は一貫して被害後(紛争後)の人々の心理学的作用に着目してきましたが、しかし、二つの被害そのものを防ぐには単純に戦争遺物そのものを取り除くしかありません。被害前の段階で出来ることがその遺物を取り除くということであり、JMASが取り組む地雷不発弾の処理です。そのような学問的好奇心が研修に至った一義的な要因です。
また、純粋に、実際の現場を把握したいとの思いもありました。アフリカやアジアの途上国に行った経験はありますが、現地で紛争に関わる仕事の経験はありませんでした。大学院での理論を机上の空論に終わらせることは口惜しいとの思いがあり、平和構築の最前線を覗いてみたいと思ったことも動機の一つです。
 第三に、僕の私淑する国際協力に携っている方が常に言っていることがあります-世界中何処へ行っても「日本人」というステータスは付きまとうよ。彼女はアフガニスタンでの勤務中、「他国は軍を派遣して戦争を泥沼化させ僕ら一般市民まで殺しているのに、日本は軍も派遣せず、君のように民間人が来て救援活動してくれるとは本当に有難い」と現地の人に言われたそうです。そこで彼女は「日本もインド湾で給油活動をしこの戦争に荷担しているんだ」という事実をどうしてもその人に伝えられなかったといいます。それを言わなかった(言えなかった)ことの善し悪しは別として、僕はそれから「国際協力の舞台で、日本人として何をするべきなのか。また、日本はどのように国際協力を推進していくことが出来るのか」ということを深く考えるようになりました。
 その点、JMASで働かれている専門家の方々は、元自衛官が多いということもあり、「日本」ということを常に意識し行動されていると思います。自分のそれらの疑問を解く鍵は専門家の方々の哲学の中に眠っているのではないか、とそのように思い、それを探りたいと感じました。
 以上三点が研修に至る背景ですが、以下、研修目的も交えながら各事務所での研修を時系列で振り返っていきたいと思います。3. プノンペン事務所研修
 プノンペン事務所研修所感を述べる前に、まずJMASカンボジアの沿革や構成を確認してみたいと思います。2002年1月、CMACとの活動の相互協力覚書を締結し、同年7月より不発弾処理を開始しました。2006年から地雷処理事業も開始し、2010年1月現在、バッタンバン州タサエンコミューン及びトラエンコミューンで地雷処理事業(各々、住民参加型地雷処理事業と安全な村づくり事業)を、カンダール州、コンポンスプー州、コンポンチャム州で不発弾事業を実施中です。
 それらの各事業を統括するのがプノンペン事務所の役割です。主な業務としては、中期計画の作成・見直し、現行案事業成果のまとめ・分析、次年度予算申請書作成、中間・終了事業報告書作成等が上げられます。それに伴い、プノンペン事務所とCMAC及び日本大使館との密な連絡が必要不可欠です。CMACとは事業内容や経理に関しての調整を、無償事業資金のドナーである日本大使館とは予算案、中間・終了報告書に関しての調整を、夫々行なっています。この他にも、上記の2団体やCMAA といった機関への事業進捗定期レポートの提出や訪問者・取材への対応、JMAS東京本部への連絡、不発弾啓蒙ポスターのデザイン・作成等、多岐に渡る業務を一手に引き受けています。
プノンペンオフィスの日常風景(左上: 古賀代表、右上: 不発弾処理ティーム、左下: 地雷処理ティーム)データ整理に会議の打ち合わせにと皆さん大忙しです。表情も真剣そのもの。ただ、仕事中でもユーモアを忘れないのがプノンペンスタッフです。
 このように、プノンペン事務所の業務は総務と経理に大別されますが、特に学ぶことが多かったのが経理の仕事です。日本のNGOのファンドは外務省からの無償事業資金と自己資金で成り立っています。NGO/NPOという組織は飽く迄も「非営利」なので、自己資金だけでも無償資金だけでも食ってはいけません。両者のバランスが取れて初めて運営が円滑に進むのです。しかし、一般に言われるように、日本のNGOファンドは大きな弱点を抱えています。それが無償資金は原則として単年度毎に配分されるということです。政府の予算制度に関連するので仕方のないことかもしれませんが、国連傘下団体は資金の使用目的に関して制約なく複数年のプロジェクトが可能です。一方、単年度毎の資金ではプロジェクト毎に資金を使わざるを得ないため、時間的に長期に渡るダイナミックなプロジェクトは必然的に難しくなります。より現実に則して言えば、無償資金に頼っているNGOはその資金内で人事を決定しなければならないため、必要に迫られて人員補充をしようとしても不可能な場合があります。よって、重要になってくるのが自己資金ということになりますが、それはそれで問題があります。欧米のNGOは企業のビジネスモデルを取り入れつつ寄付やチャリティ・ショップ等の収益といったものを元手として活動していますが、日本のNGOは自己資金を増やすためのビジネスという側面が弱いように感じました。勿論、会員からの会費や寄付金といったものは無視できない存在ですが、それもある程度までいくと頭打ちになってしまいます。要は、他の分野での自己資金源を確保しなければならないため、例えば、民間企業で働く人々を積極的に採用する等し、ビジネス的側面を強化する必要があると感じました。
 次に、総務的業務に関してですが、最も記憶に残っているイヴェントがライオンズクラブ 様からの車輌の贈呈式です。当日は早朝から会場入りし、会場のセッティングや式典中の備品の運搬、写真撮影、式後の不発弾処理への同行とライオンズ様への説明・補佐等、全般的に関わることが出来ました。
 
 早朝から会場はてんやわんやでしたが、式も無事に終了し何よりです

その中で深く考えさせられたことが一つあります。それが支援の在り方です。式典後の不発弾処理の見学の最中、あるライオンズ会員の方がこう言いました-このような外国の過酷な僻地で、しかも住民の人達に直接役立つ仕事をするなんて僕らには到底出来ないよ。でも、だからこそ、僕らは金銭的だけだけど支援したいんだ。それは、普段何食わぬ顔で生活している僕にとって、深い教訓のように聞こえました。仏教用語に縁起というものがありますが、人間は人の間で成り立つ生き物です。仕事を例にとっても、自分だけが何かをしてその対価で報酬を貰うわけではありません。その裏には、共に働く同僚がいたり、それを支援してくれる家族や友人がいたりと、多くの人々が夫々の役割をこなしながら一つの物が出来上がっていきます。況してや、国際協力の舞台ではそれが顕著に現れます。金銭的支援をするドナーがいるからこそ、現場で現地の人々のために仕事が出来るのです。「僕らには出来ないけど、現地の人々の支援を宜しく頼むよ」。僕にはそうとも聞こえました。この仕事は、支援する側からの託された静かなる熱い思いを、現地の人々へ届ける素晴らしい仕事だと感じたと同時に、改めて人間のポジティヴな可能性を信じることが出来ました。

 それらの体験以外にも、プノンペン事務所では多くのことを学びました。代表古賀氏からはリーダーの資質の何たるかを、総務主任佐藤佳子氏にはNGO組織におけるマネジメント力の重要性を、地雷処理事業経理主任ソポアン氏からは仕事を細部にまでチェックするその細やかさを、彼女のアシスタント・ヴィボール氏からは仕事を最後まで完遂するその直向さを、不発弾処理事業主任ボーレット氏からは様々なことに配慮するそのバランス能力を、彼のアシスタント・ピセット氏からはオンとオフの切替の重要性を、不発弾処理事業経理主任新井智恵氏からは笑顔の大切さを、彼女のアシスタント・レアカナ氏からは仕事をスピーディに行なう迅速さを、各々に教えて頂いたように思います。改めて深い謝意を表明します。

 
  1. バッタンバン州カムリエン郡タサエンコミューン:住民参加型地雷処理事業(以下CBD[4])

 タイとの国境に隣接するカンボジア北西部タサエンコミューンでは、人間的に非常に鍛えられました。宿泊の機会を得たサマキ村[5]では、仕事をしていると何処彼処から「ご飯は食べたのか?」という声が。言われるがまま食事を頂くとまた何処彼処から同じお誘いを頂き、結局一日四食頂くという贅沢な生活を体験し、更には、トイレがない環境で朝日と夕日を見ながら事を済ませるという痛快さを覚える出来事や飛入りで見ず知らずの家庭の結婚式に参加する等、本当に忘れられない思い出ばかりです。

 さて、本題のCBD事業に関してですが、平和構築と開発を見事に融合させた画期的な地域復興支援という側面を持ちます。地雷除去隊員を実際に住民から雇い、彼らが除去作業をし、その土地へ井戸や学校、道路建設をするという壮大なプロジェクトです。戦後復興に欠かすことの出来ない雇用創出や隊員の家族や村人への自発的啓蒙活動の副次的効果、旧知の隊員が除去作業することによる村としての団結力の向上-このプロジェクトの二次的三次的効果は枚挙に暇がありません。

 隊員は社会的弱者、特に内戦によって寡婦となった女性や貧困層から優先的に選抜され、コンポンチャム州にあるCMACトレーニングセンターで約6週間の訓練を受けた後に処理活動に携ります。現在は三個小隊計99名が現地で実際の処理活動にあたっています。1991年のパリ和平協定[6]が結ばれてからも、タサエンコミューン等のカンボジア西部地域では敗走するクメル・ルージュと追撃する政府軍・ヴェトナム軍という構図で激しい攻防が繰り返されました。それにより多くの地雷が当地に埋設され、現在隊員達は目に見えない敵と黙々と戦っています[7]

 そんな敵にCMAC隊員と共に挑むJMAS専門家が高山良二氏です。この地域では三個小隊が展開中ですが、連日指導するのが高山さんの重要な任務の一つです。「スオスダーイ!!ソクサバーイ?? (こんにちは。調子はどうですか)」-CMAC隊員一人ひとりへ笑顔でそう話しかけ、冗談を交えながら隊員達に技術改善指導を施します。地雷除去の専門といっても一人ひとり得意不得意は付き物で、探知機で土中の地雷を発見することに慣れている隊員や探知のために草木を伐採することに長けている隊員等、千差万別です。「もう少し角度を付けて十字を描くように探せば効率的に発見できるよ」と、各隊員の問題点を鋭く指摘しながらも、相手の自尊心を尊重しながら指導します。

 
作業は草木伐採と地雷探査を繰り返します。両方作業ともに地面に触れてはならないため、高い集中力が必要です。
(左)炎天下の作業をものともせず、笑顔で働く女性隊員
(右) 高山さんの熱心な指導に耳を傾けるディマイナーたち
そんな高山さんに最も敬意を払った瞬間があります。高山さんが皆で昼食を取ろうと隊員全員を集めようとした時、ある二十歳前後の女性ディマイナーだけがうつむいて一向に皆の輪へ入ってこようとしません。僕はただ調子が悪いのだろうと思っていたところ、高山さんが彼女の胸のうちを話してくれました。彼女の父親は地雷被害で下半身不随になり彼女自身も病気がちで経済的に苦しいため、高山さんが個人的に診療代を立て替えているとのことで、彼女が昼食を皆で取らないのはその返済に困っているからだろうとのことでした。僕が感銘を受けたのは単に困っている人に救いの手を差し伸べるその姿ではありません。人間と人間との深いところでコミュニケーションをするその心行きに対してです。高山さんは別の機会で次のように語って下さいました-「一度任せると決めたのなら、相手をどこまでも信じること。それが何かをうむと思うんだよ」と。勿論、これは別の文脈で言われたことですが、他人との信頼関係はどのような場合でも重要なものです。それに、幾ら仕事とプライベートを混同するなと言われても、所詮は人間、腐っても人間であるのであって、彼女のような問題を抱えている場合、どうしても仕事に影響が出ることでしょう。事業の進捗を遅らせるだけでなく、地雷処理というものは高い集中力が必要なためその心の問題が事故をうむ可能性もあります。そのようなプライベートな相談に真摯に乗ることがテクニカルな技術指導よりも逆説的な意味において技術指導になるのであり、その姿勢が国際協力活動をする一つの原点であるのだなと改めて気付かされました。 

 次に印象深いのが上述したサマキ村での出来事です。現地へはゴミを村からなくす「ゴミゼロ運動」というものを推進するために三日間行きました。カンボジアの農村部では、燃えるゴミ燃えないゴミ問わず、地表にゴミをそのまま捨てることが一般的です。何故なら、食べかす等の燃えるゴミは豚や鶏等の家畜の肥料になるからです。プラスティック製品がなかった時代はそれで事は済むかもしれませんが、燃えないゴミは土中には還りません。それに、疫病の蔓延を防止する、心を清く保つという観点に立脚すれば、ゴミはない方がいいに決まっています。そのような考えの下、ゴミゼロ運動推進員として派遣されました。以前からサマキ村ではその運動が行なわれているらしいのですが、僕が訪問した日も至る所にゴミが散乱し運動が成功へ向かっているとは到底思えません。単にゴミを拾うというのは住民の一人ひとりの役割であり、何よりも重要なのはゴミに対する意識の改善ということで、ゴミゼロ運動用の啓蒙ポスターを作ることに決めました。目に付いた村人達や子供達に声を掛け、副村長さん宅でポスター作成を始めました。最初は数人で始まったのですが、「外人が何語かも分からない言葉で何を書いているんだろう(勿論クメール語です)」という好奇心からか、次々に村人や子供達が集まり始め僕の理解不能な文章を直してくれます。そんなハプニングもありながら、作成後は完成したポスターを貼るため各家庭を回りました。僕は飽く迄もヘルパーということで運動に参加しましたが、村人達の運動に参加する直向さには感動しました。生まれて間もないこの村を心から育てようという気概がひしひしと伝わってきました。しかし、そうは問屋が卸さないのか、後日談によると既に以前のように村にはゴミが溢れているようです。

 
住民自らが作成したポスターを貼ります。が、しかし...
 

 その話を聞いて思い出したのがカンボジアの人々の気質です。言うまでもなく、個人個人によって性格の違いはどの国民にもあるので一括りにして考えたくはありませんが(僕が出会った人々の中には、心の底から国の現状を憂慮し、真剣に努力されている方も大勢いました)、カンボジアの人々はある一つの傾向を持つようです。先進国のように発展したいとは思うが、そこに至るまでの過程や手段を考えることが苦手なようです。推定500以上のNGO団体が海外から支援にやってきている現状を鑑みればその支援に依存してしまうのは仕方のないことかもしれませんが、しかし、支援する側からすれば「(善い意味でも悪い意味でも)変化」を促すことが目的であるはずです。良い意味での変化は一朝一夕には表れない一方、悪い変化は容易く求めることが出来ます。僕が言及したいのは良い変化のためには時が必要だということではなく、変化を心から求めていないのにそれに対して援助するべきなのかどうかということです。率直に言いますと、今現時点では僕の中で飲み込めていない問題ですが、援助開発というものは常にそのような事を考え続けながらの試行錯誤のものだと感じました。

 タサエンでも、前述した事柄以外にも多くのことを勉強させて頂きました。井戸をきちんと住民自らの手で管理するのが「支援される側の責任」であるのなら、それと同時に、それを可能にするための技術移譲(メンテナンス等の指導)を行なうことが「支援する側の責任」でもある-高山さんのその言辞の裏には、平和構築や開発というものは何か、という根本命題が隠されていると深く考えさせられました。将来「支援する側」に立ちたいと考えている身として、高山氏からは様々な薫陶を頂きました。深い御礼を申し上げます。

(左)参加した結婚式でのワンショット。女性は着飾り男性は普段着(??)です。世界共通、女性は美を追求するようです。
(左下) 井戸稼動数調査での一場面。古今東西、子供の笑顔は素敵です。
(右下) 子供達への地雷啓蒙。紙芝居を通して楽しく学習します。
  1. バッタンバン事務所: 安全な村づくり事業(以下SVC[8])

 SVCプロジェクトとは、小松製作所[9]とのタイアップ事業であり、地雷除去機等の建機を用いながら、地雷汚染地域の地雷を除去すると共に、農耕地の開墾や道路、溜池、学校、井戸建設等のインフラ整備を総合的に行なうという画期的平和構築・開発事業です。昨今、ビジネスと平和構築という言葉が日本でクローズアップされていますが、この事業は日本の国際協力の場に新しい風を吹き込むものだと感じました。

JMASの業務は多岐に渡ります。プロジェクト場所の選定や地域行政との調整、CMAC現地オフィスとの折衝、現場CMAC小隊の指導、データ収集(事業進捗状況や機器燃費や全体の経費の把握)等がそれに当たります。毎朝7時頃には朝礼を済まし、現場視察へと向かいます。視察が終わるとバッタンバンオフィスへ戻り、データ整理等の仕事を夜遅くまで行ないます。

事業要領に関してですが、プロジェクトが実施される前に実施場所の選定が重要です。原則的に、候補地はCMACからの地雷原レポート[10]の中から決められますが、その中から更にSVC事業に合致する地域を調査しなければなりません。例として、候補地の中に私有地や国有地が含まれる場合は土地所有者との折衝をしなければなりませんし、地質が粘土質や腐葉土の場合は土を他の場所から運搬する必要があります。また、現地の村々のニーズ調査も大切です。本当にその土地への事業が必要なのか-学校建設をすることでどの程度の人々が利益を被るのか等-を行政側と繰り返し話し合います。綿密な計画なしに外国の団体がコミュニティに入り、現地の人々の声を聞かずに行なう開発は往々にして失敗に終わります。そのような過程を踏んで候補地が決定され、事業が開始されます。

次年度の実施場所選定時の模様。
(右)地元住民にとっては川に橋を架けることは重要です。
(左)奥右は小学校。行政側のニーズ調査は必要不可欠。
 初めに、対戦車地雷の有無を調べ[11]、それがあるならディマイナーによる除去が、なければ処理機による処理が始まります。地雷処理機での処理と言っても、大抵の候補地は潅木層や疎林なためそれらを伐採しなければなりません。しかし、そのような悪条件もなんのそので、ある程度の潅木なら除去機が伐採します。処理後はディマイナーと地雷犬[12]による安全確認がされ、現地の業者と協同で道路や学校建設といった土木施工が始まります。全ての工程が終了すると行政側に受け渡されます。

 

(右上)井戸建設の場。毎日の視察が事業の成功へと繋がります。
(右下)建設機器の状態の聞き取り調査。メンテナンスの指導もします。
(左下)事業は学校建設の真っ最中。時には、専門家が指導することも。
(左上)地雷処理機の迫力には驚愕です。

 バッタンバン事務所滞在中、その事業後のコミュニティを視察する機会を得ました。それがリャー・スメイ・サンハー村です。整備された道路、新設され村の生徒が学ぶ小学校、衛生な水を供給する井戸、それらを見ているとこの事業の意義が伝わってきます。たらいを持った女性が洗濯のため溜池で水汲みをしていました。「この事業によって村はどのように変わりましたか」という僕の質問に「凄く住み心地がよくなりました、有難う」と満面の笑みで答える女性。「学校は楽しいかい??」との問いかけに「うん、凄く楽しい!!」と声を上げる生徒たち。現場作業中はただひたすら村の発展に寄与したいと黙々と作業をする隊員の方々の姿があります。地雷処理機のオペレーターは「地雷を処理して色々な施設が出来上がり、それが村人のためになると思うとやる気が出ます」と言っていました。プロジェクト終了までは触れることの出来ない村人の反応。その反応に触れた時、「全てが報われる」のだと事業に携っているスタッフは皆口を揃えて言っていました。モノを造ることで人の笑顔を創る-それがこの事業の醍醐味なのだと改めてそう思いました。

 また、日本のものづくりは本当に素晴らしいものだと感嘆することもありました。村に新設されたのがコロン・サンチェイ小学校。学校の正門から校舎まで歩いた時のこと、何故か校庭が傾斜にされていました。フラットにした方が生徒は使いやすいのではないかと疑問に思いましたが、それは素人の発想。雨水を排水するために故意に5%の傾斜にしたそうです。僕の研修期間は乾期で想像できませんでしたが、雨期には全国で水害が発生するこのカンボジアです。メコン川では雨期と乾期の水位差は10メートルにもなります。水を治める者がこの国を制覇すると言っても過言ではないほど、カンボジアでの生活の鍵は水を制すことにあります。細やかな配慮と精確な工事には、日本人による支援の意義を感じました。

(左)コロン・サンチェイ小学校。この小学校には日本の土木技術が沢山詰まっています。
(右)小学校の井戸。井戸はタイ製かインド製かという選択肢がありますが、これはインド製のもので、耐久年数は20年以上とか。

 反面、開発というものが如何に難しいものなのかを実感することもありました。それを感じたのが半壊する道路を見た時のことです。道路脇には溜池があり、溜まった水を排水するために排水溝が道の下を通り、その排水を逆側に送り出す場所がありますが、その道路が半壊し幅2メートル程に狭まっていました。村人の手でも修復出来る構造になっており、やる気(+小額の資金)さえあれば誰でも何時でも直せるらしいのですが、その気配は見当たりませんでした。「支援する側の責任」がメンテナンス出来るように村人に働きかけることなら、「支援される側の責任」は自分達で村を管理することです。それに即して考えるのなら、事業が終わり土地を引き渡された以上、修復するのは村人の仕事かもしれません。いや、きっとそうでしょう。しかしながら、そう思うと同時に、直すように村人に働き「続ける」というのもまた、援助側の大事な仕事なのではないかと感じました。そうすることで初めて、支援する側とされる側の責任が果たされ、真の意味でのされる側の自立がなされるのではないかと思いました。

 次に触れておきたいのが「ビジネス」と「平和構築」の関係性です。既述のように、このプロジェクトは小松製作所の全面的な支援の下にJMASとCMACが実施するという、企業とNGOがコラボレーションした新たなる平和構築モデルです。その構想には敬服しましたが、疑問に思うことがありました-何故小松製作所はこのプロジェクトを大々的に喧伝しないのか。ビジネスというからには「ギヴ&テイク」が当たり前の世界です。何かをするからにはそれに見合った対価を要求する-それが原理原則です。「企業の社会的責任」という言葉もありますが、日本の企業は欧米のそれとは違い社会貢献事業を「自社の宣伝」と考えている節がまだまだあります。それにも関わらず、何故小松製作所は宣伝しようとしないのか。その疑問を会社の方にぶつけてみました。「それはね、間違いを恐れずに言えば、ここで僕らが実験をさせてもらっているからだよ。別に感謝されようと思ってやっている訳ではなく、新しいことを試せる場所を提供して頂いているからね。だから僕らはどんな対価も期待しないんだよ。それに、この不況で僕等の会社も煽りを受けたけど、この事業が社員に勇気と希望を与えたんだ。「私達の会社は海外でこんな素晴らしいプロジェクトをしているんだ。だからこそ頑張ろう」と皆言っているよ」。小松も多くの「テイク」を受けている-それが宣伝による自社の実利ではないと分った時、新たなる平和構築の姿を見たように感じました。

 最後に、SVC事業主任庄司洋平氏、副主任大本氏俊志氏、企画経理主任亀井英紀氏、地雷処理事業主任ボラ氏、彼のアシスタント・ソピア氏、各氏の御尽力の賜物で平和構築の実情を勉強出来たと思います。また、小松製作所の社員の方々にも色々なお話をして頂きました。誠に有難うございました。

  1. 不発弾処理研修(カンダール州、コンポンスプー州、コンポンチャム州)

 現在、JMAS不発弾処理事業はカンボジア南部[13]を中心にカンダール州、コンポンスプー州、コンポンチャム州、各州で行なわれています。不発弾処理事業も地雷処理事業と同様に、JMAS専門家(各州一名)がCMAC隊員を指導教育する形で行なわれています。カンダール州は7名と4名、コンポンスプー州は10名と4名、コンポンチャム州には10名と5名、各々CMAC隊員と不発弾危険減少活動員(以下CBURR)が展開中であり、不発弾処理対象地域[14]であるスバイリエン州には4名の、タケオ州とコッコン州には夫々2名ずつのCBURRが派遣されています。

一般的には不発弾は地雷よりも認知されていないと思いますが、現在、地雷以上に被害を出しているのが不発弾です。次ページのグラフが示すように、2000年以前は逆の傾向も見られましたが-住民の生活圏に地雷が大量に存在したため-2001年以降は不発弾による事故が地雷のそれを上回っています。例えば、2004年は計898件の地雷・不発弾事故被害者が報告されていますが、うち地雷事故が340件なのに対し不発弾事故は558件であり、処理が進んだ2008年でも不発弾事故149件、地雷事故117件が起こりました。不発弾事故の要因はそれに触れることにありますが(不発弾事故の約60%)、その中でも、「子供が遊んでいて」が55%と最も多く、不発弾を爆破させることによって浮上してくる「魚を獲っていて」のケースが19%、鉄や銅を廃品業者に売るために「不発弾解体を行なっていて」が13%と続きます。要するに、①認識不足に起因する場合と②貧困に起因する場合、この二つのケースが考えられます。そのような背景があるため、実際の不発弾処理よりも重要になってくるのが不発弾に対する啓蒙教育(以下啓蒙)です。それを主に担当するのがCBURRです。

カンボジアにおける地雷・不発弾による被害者統計(2000年~2008年)

典拠: Cambodia Mine/ERW Victim Information System (CMVIS) (2009) Annual Report 2008 (Phnom Penh: Cambodian Red Cross)

啓蒙をすることは不発弾(と地雷)の危険性に対する住民の意識改善を助長するという点で非常に重要です。処理作業で立ち寄った村や学校で、彼らCBURRが不発弾の種類や特徴、危険性等を写真やイラストを使って説明します。不発弾事故で怪我をした人や亡くなった人の写真もあるため、最初子供は顔をしかめたりもしますが、CBURRの熱心で人を誘い込む説明に最後は真剣に耳を傾ける生徒の姿がありました。CBURRと共に啓蒙活動に携っていくもJMASの役割の一つです。ある専門家の方は「不発弾や地雷を発見したら絶対に触らずにCMACやJMASに知らせて下さい。それと、不発弾も危険だけど、それ以上に危険なのが交通事故[15]です。道を渡る時は左右をきちんと確認してからね」と村人や子供達へ直接語りかけていました。団体を知ってもらうことは、延いては住民達の安全に繋がりますが、生活に関する注意を喚起することは住民達との信頼関係の醸成にも役立ちます。啓蒙が終わると、啓蒙用のポスターやノートを住民や子供へ配ります。礼儀正しく手を合わせて「オー・クン(有難う)」と言う子供たちの姿が印象的でした。また、配布中、啓蒙は大切だと心から痛感した出来事があります。ある日、回収した不発弾を処理し、指揮所への道中に立ち寄った村でそれが起こりました。ポスターを住民に配っていると「このポスターに載っている不発弾、あそこにあるよ」との情報を得、その現場に向かうと手榴弾が民家の軒下に置かれていました。啓蒙活動の重要性を再認識した瞬間でし

(左)啓蒙活動中。「何をしているんだろう」と子供達は村中からやってきます。
(左下)「皆も不発弾と交通事故には気をつけて」 専門家の役割は処理業務以外にも及びます。
(右下)「これは何だろう??」ノートには不発弾に関する説明も載っています。勉強頑張って!!

 

CBURRのもう一つの役割が不発弾の情報収集です。不発弾は至る所に存在します。民家の軒下や田圃の隅、川の中、潅木の幹、学校の裏、寺院、村役場、警察署、軍事施設倉庫等等-数え上げればきりがありません[16]。不発弾処理隊だけでは必然的に発見するのは困難です。よって活躍するのがCBURRです。彼らは地域の警察や行政とネットワークを作り、住民から地雷や不発弾の情報を収集します。そのような理由から、CBURRには警官や公務員が多く登用されます[17]。更に、彼らの下に各村の村長さん等がボランティアとしていることで、定期的な情報を得ると共に村等の行政基盤を強めることにも繋がります。
この日は出張で山岳地帯のキリロムへ。情報提供により山深く進んでいきます。が、対象物は発見できず。でも、提供者の子供には感謝です。オー・クン。
出張先のタケオ州警察本部長(中央)との写真。不発弾処理は警察との連携が不可欠です。本部長さんは住民と稲刈りをしてきたとのこと。 タケオ州担当CBURR(右)とそのご家族。彼も警官であり、12人(!?)の子供の父親。「カンボジアの子供達の未来ために頑張ります」と仰っていました。
 一方、JMAS専門家の仕事が、弾薬の基礎知識、基礎作業の確認、不発弾(地雷)の識別、作業中の安全管理、緊急時の対応やデータ整理技術といった技術移譲です。不発弾処理は前述のCBURRからの情報を前提としますが、現場に行った際の一番の留意点が不発弾の識別です。その識別は処理活動全体の過程を決定付けると言っても過言ではありません。モデル名や生産地によって、表面上は不可視な信管の内部構造も判別する必要があるからです。信管とは爆弾のスイッチであり、その構造を見定めることはその弾をどのように爆破処理するのかということに繋がります。また、形状識別によっては、何故爆破せずに不発弾となって残ったのかということも分かります。それらの重要性のため、専門家は不発弾識別に関する書籍を持参し、CMAC隊員と共に入念に識別をします。不発弾回収を数回数十回繰り返した後、その爆破処理を行ないます。処理地及び処理埋設場所の選定、起爆方法の選択、爆破前の安全確認、実際の爆破作業、爆破後の安全確認、以上のことを爆破処理と言います。この段階で肝要なのは爆破の方向をどうするかということです。例えば、埋没していない125kg普通爆弾の場合、その破片は1000m以上に、155mm砲弾の破片は400m程度飛散します。発見当日に爆破処理をするということが不発弾処理の鉄則であるため、一例を挙げると、稲刈りをしている村民の横でしなければならない場合もあります。よって、爆破の方向性を決めることが人々の安全に直結してくれるのです。実際には、不発弾の上に盛り土を60cmのせることで衝撃を和らげる措置が取られています。
(左上)不発弾の識別は、処理の基本であり、一番重要な作業工程の一つです。隊員と専門家の議論が行なわれます。(右上)転んで爆破という事故も報告されています。回収の際は細心の注意が必要です。(左)爆破のための穴掘り。地質によっては掘るのが大変。
(左上)火薬セット、爆破準備完了。写真右は「ペントライト」という混合火薬。(右上)「コンテ・クロアッ・ポーイ(不発弾を爆破します)」住民に対する注意喚起は通訳さんのお仕事の一つ。(左)道路封鎖を終えたら、実際の爆破。心臓に響く重低音が不発弾爆破の特徴です。

以上が不発弾処理の概要ですが、不発弾研修で「日本人による」国際協力の意義が漠然としながらも分かってきたように思います。日本以外にも、カンボジアの地雷・不発弾処理事業には数多くの国(主に欧米各国)が関わっています。前半部の脚注内で述べましたが、CMACという組織だけを取っても、そのドナー数は20団体以上であり、その機関以外にも幾つかの国際NGOが処理活動に従事しています[18]。「その中で、何故日本のNGOがカンボジア等の途上国・紛争国で活動するのか、または、しなければならないのか」という根本命題を考えることは、日本がこれから国際協力の場に積極的に参入していく機会が増えることが見込まれる点で、非常に無視できないものです。

ここで、再び実際の不発弾処理を振り返りたいと思います。専門家の方々は処理作業以外にも精力的に活動されていました。処理作業に関する安全セミナーの開講や新たな爆破処理のレクチャー、処理道具の清掃の徹底、車輌の駐車の指導等がその顕著な例です。一考すれば、それらは必要のないことかもしれません。CMACとJMASの業務目的は、地雷・不発弾を取り除くことであり、それに対する住民達の被害を減らすことにあるからです。しかしながら、それらの不必要かもしれない作業こそが必要なのです。隊員達の安全に対する意識を改善すればカンボジアの住民でもある彼らの事故も減らすことが出来るし、爆破処理の講義を行なえばあらゆる事態にも対処出来ます-例え、作業に必要な備品が足りないという状況が起きたとしても。また、用具清掃を徹底すればそれに対する愛着が隊員の心に湧きプロとしての誇りも高まることでしょう。処理に関するテクニカルな技術を教示することが専門家の方々の本分ではありますが、しかし、日本人の仕事に対する精確性や徹底さといった精神性を移譲することこそが「技術移譲」であり、それが日本人の国際協力の一つの形なのだと深く考えさせられました。

(左)爆破処理レクチャーの模様。実際の器材を用いて新たな爆破方法を隊員に教えます。
(右)安全会議。安全に関することや日常で感じたこと等、そのセミナーでは隊員が自由に意見交換をします。

 最後に、カンダール州不発弾処理主任西城真人氏、コンポンスプー州不発弾処理主任丹田厚一氏、コンポンチャム州古賀美好氏、各氏には不発弾の構造からその処理方法に至るまで全くの素人である僕が理解し易いよう、懇切丁寧に指導して頂きました。また、「日本の支援とは何であるか」という深い疑問にも真摯にお答え頂きました。この場をお借りして、厚く御礼を申し上げます。

  1. おわりに

 平和構築の現場の知見を深めることが僕の一義的な研修目的でしたが、その目的達成以上に、今回の研修は大変実り多きものとなりました。プノンペン事務所では現場を事務的に支えることの重要性を、タサエンでは平和構築の多様性を、バッタンバン事務所ではビジネスと平和構築の新たなる可能性を、そして、不発弾処理では日本の国際協力の在り方を、それぞれ学びました。百聞は一見に如かずとはまさにその通りで、この研修は大学院で学んでいた理論をより実践的に考えられる大変貴重な機会となりました。また、職員の方々の業務に対する真摯な姿勢には大変感銘を受けました。改めて、僕の研修を最後まで支えて下さったJMASカンボジアの全てのスタッフの方々-お名前を挙げ切れなかった通訳とドライバー、警備員、ハウスキーパーの方々にも-に深く感謝致します。本当に二ヶ月間有難うございました。

最後に、カンボジアの子供達のあの笑顔は一生忘れられないでしょう。彼らの笑顔を支えるこの地雷不発弾処理事業がより一層成功することを願って已みません。


[1]日訳は「カンボジア地雷対策センター」。1992年6月、UNTAC(国際連合カンボジア暫定統治機構)内に設置された地雷除去訓練所がその前身。翌93年11月、UNTACから権限委譲され政府の独立機関となる。本部(プノンペン)、全国5箇所の地雷除去支部事務所、東部不発弾処理地域事務所(コンポンチャム)、研修センター(コンポンチュナン)、研修・研究開発センター(シェムリアップ)、中央整備工場(バッタンバン)等で構成され、毎年10億円規模の予算の内約90%を国際機関、各国政府、国際NGO等20以上のドナーから受ける。スタッフは約2,200名であり、「地雷不発弾の危険回避教育」、「地雷情報の収集、調査」、「地雷不発弾の処理」、「地雷除去に関する訓練」の四つをその主な任務としている。詳しくは、Japan International Cooperation Agency (JICA) (2007) What is Cambodian Mine Action Centre? (Phnom Penh: CMAC)を参照。

URL: http://www.cmac.gov.kh/

[2] Cambodian Mine Action and Victim Assistance Authorityの略称。政府直轄の諮問機関であり、CMACの上部組織。

[3]世界205ヶ国・地域に展開する社会貢献団体。NGO等への寄付の他、会員が自らボランティア事業に従事するのが特長。この他にも多様な活動を行う。詳しくは団体ホームページを参照。

URL: http://www.lionsclubs.org/JA/index.php

[4] Community-Based Deminingの英略称。

[5]クメール語で「協力」という意味。村長さん自らが命名。1999年に最初の入植者が現在のサマキ村へ居を構える。2009年現在では70世帯を超え、人口も400人弱まで成長した。

[6] 1991年10月23日、パリにおいて、カンボジア和平のために19ヶ国が調印した和平協定。それにより、UNTAC設立や軍隊の武装解除、タイのカンボジア難民帰還、議会選挙の実施等が規定された。

[7]紙幅の関係により、隊員達の経済状況や地雷処理候補地の選定等の説明は下記のウェブサイトを参照下さい。下谷内奈緒 (2009) “カンボジア地雷処理: 住民参加型平和構築の最前線” (日本国際問題研究所), URL: http://www.jiia.or.jp/column/200903/23-nao_shimoyachi.html

[8] Safety Village Constructionの英略称。

[9] (株)小松製作所の自社ホームページには、昨年度のSVC事業(バッタンバン州ラタナックモンドル郡リャースメイサンハー村)の模様が詳細に記されています。

URL: http://www.komatsu.co.jp/CompanyInfo/csr/landmines/part2.html

また、次のサイト上では、地雷除去機が実際に動く動画もアップロードされています。

URL: http://www.kenkenkikki.jp/special/no09/index.html

尚、JMAS東京本部ではSVC事業が詳しく説明されている冊子「オヤジたちの国際貢献(4)」が無料配布されています。希望される方はJMAS東京本部へお越し下さい。

[10]住民からの聞き取り調査や戦闘経過からの判断、現地の部分的地雷抽出探知等によって、地雷埋設地を画定することをLevel One Surveyといいます。

[11]日本の法律上、対戦車地雷に耐えられる機械を製造、販売、輸出するのは禁止されています。よって、必然的に対人地雷にだけ耐えられる処理機のみ製造が可能となります。

[12]欧州からの犬(大抵はジャーマン・シェパード)をコンポンチュナンのCMACトレーニングセンターにて更に調教します。現在は六十数頭が地雷処理にて活躍中。

[13]不発弾の分布はカンボジア南部及び東部に多く見られます。カンボジア内線時(70年~90年代初頭)に投下されたものも少なからずあるが、南部と東部に集中して見られるのは、隣国ヴェトナムでの紛争時(65年~70年代中葉)、米軍が所謂ホーチミン・ルートに爆撃を行なったことに起因します。

[14]各指揮所には、居住地区とは別に担当する地域があります。カンダール州指揮所はタケオ州を、コンポンスプーはコッコン州を、コンポンチャムはスバイリエンを、各々担当します。また、対象地域とは、重点的に処理が済まされたが時折不発弾が発見される、又は、不発弾が少ない地域のことを指し、毎月三日間程度、出張という形で各指揮所が