2010年8月7日から1週間、カンボジアのJMAS処理現場を研修された、現職自衛官永井睦人さんと江口統一郎さんからお礼文を頂きましたのでここにご紹介します。
JMAS(日本地雷処理を支援する会)カンボジア現地見学の御礼
永井 睦人
JMASの活動を研修させていただき、無事に終え、帰国できたことを心から感謝しお礼を申し上げます。ありがとうございました。
これも、プノンペン渡邉代表、総務主任 佐藤さん、EOD主任 古賀美好さん SVC副主任 今井洋平さん CBD主任 高山良二さん、副主任 高田 善之さん JMASスタッフ CMACスタッフ 現地の皆さんのお陰だと深く感謝します。
今回研修を計画した経緯は、約7年前私がNHKの番組で“オヤジたちの国際貢献”というJMASの特集で高山良二さんを知りました。 高山さんは、自衛隊OBであり、 1992年カンボジアPKOに参加、退職後 “やり残したことがある”と再びカンボジアに戻ったといった内容でした。しかも愛媛県出身。自分は『坂の上の雲』秋山兄弟で有名な松山市出身、高山さん(砥部町)とは隣町で、身近に感じますが、遠い存在であり、当時の自分にはまさに雲の上の人の様に感じると共に大変感銘を受けたのを覚えています。その後、JMASの本を買ったり、機会があれば、人前でその活動などを紹介していました。今回、様々なタイミングと縁が重なり7年越しの渡航を実現する事ができました。
研修間、終始現場に同行させて頂き感じる事、考えさせられることは多々ありました。
どの現場でも、日本で言えば悪路です。雨季であるということもあるとしても、道が狭いし、凸凹でした。職業柄、日頃訓練する、演習場と比べても悪路だと感じました。やはり、車がはまる事はしばしばだそうです。現場に行くだけでも困難と感じました。
EODの現場では、不発弾の発見、通報は現地の村の人からが大半であり、その現場は、日本の感覚で言うと、すぐそこの、畑であったり、すぐあそこの、林の中であったりと、普通に生活の中にあると言う現実を目の当たりにし今までにない感覚に襲われました。当日も3つの不発弾を古賀主任以下CMACの隊員が処理をしました。不発弾処理は、日々の積み重ねでしかできない現実も目の当たりにしました。
不発弾の説明をする古賀主任 こんな所に!クラスター爆弾
SVCの現場では人力と機械力を併用して、インフラの整備と地雷原の処理をしていました。CMACの方々は、自分の感覚では、この猛暑の中、なかなか休憩しないなと感じました。凄まじい緊張感の中での集中力なので、すごい精神力だなと感じました。また、日々の点検、整備もしっかりなされていて改めて感嘆させられました。質疑応答の際、今井副主任がCMAC小隊長に処理現場について、“ココは安全ですか?”と聞いたところ、小隊長は“私は部下を信じています”と答えた、その言葉に感動しました。更にその言葉に今井副主任の目頭が熱くなって、涙を浮かべていたのをみて、自分は更に男として感動しました。信頼関係の大事さを再認識しました。
CMACのオペレーター SVC現地スタッフと相互に敬礼(左奥 今井副主任)
CBDの現場は、内戦時の激戦地、であり、当時の緊要地形にあたる147高地の近辺であり、今走っている道路、そこの畑すべてが地雷原だったところです。今、現地を見ても、想像がつきませんが、多くの苦労があったのだと、 高山主任は聞かせてくれました。処理現場までは、道なき道を腰まで水に浸かりながらの移動、マラリアの感染、手塩にかけて育てたデマイナーの事故等々、高山主任の背中がものすごく大きく感じました。また、CBDは住民参加型と言うことで、地元の若い青年、女性が参加しています。この環境と、死と隣り合わせの緊張感、自分も仕事柄危険なことはありますが、正直、脱帽でした。“どうしてこのような危険な仕事をするのですか?”“自分達の村なので”その言葉に、またまた再脱帽でした。
“自分達の国を、自分達の村を自分達で”当たり前の様に聞こえますが、正直、自分を含め自分達の年代でそのような事を口にできる日本人はいるだろろうかと考えさせられました。
高山主任とCBD現地スタッフ (前列左 高山主任)
今回の研修を通して、外から日本を見る事ができました。日本の経済力、物資の豊かさ、様々な分野での技術の高さ、確かにそれらは素晴らしいと感じました。
しかしながら、一番世界に誇れ、日本人として先祖(諸先輩方)から受け継がなければならないのは、国の平和などに身を投げることができる心、国を愛せること、そして自国のみではなく他人(他国)を思いやる事ができる精神(心)ではないかと自分の中で感じました。
今の自分にできることは、それを具現実行して、汗を流している格好いい日本のオヤジ達(自衛隊の大先輩)の存在を伝える事、今回の研修で学んだ事を忘れず、自分も格好いいオヤジになるため、少しでも近づける様に日々精進することだと思います。
終わりに、重ねて今研修で出会った方々、また陰で支えてくれた方々に深く感謝したいと思います。本当にありがとうございました。
JMASカンボジア現地の処理活動見学への御礼
江口 統一朗
8月の上旬、約1週間夏季休暇を利用しカンボジアにおけるJMASの不発弾、地雷等の回収処理及び同地域での道路等のインフラの整備、復興を見学しました。現役の自衛官ということもあり、渡航の申請など手間取ることが多かったですが、今回見学できたことは自分の中で非常に良かったと感じています。
そもそもなぜ見学を希望したかと申しますと、以前からJMASの活動についてはNHK等で放映されていたのを見ていて興味があり、是非とも一度現地を見学してみたいという思いがありました。やはり、テレビや雑誌等で見るより実際現地で見て感じる事の方が得るものが大きいと思っていたからです。
部隊の許可が下り、8月7日にカンボジア入りすると、まずそのパワーに圧倒されました。行きかう車やバイクタクシー、人の多さ、何より行きかう人が若い。人口の数10パーセントが20代以下という若さのこの国は、パワーが満ち溢れていました。また、高層ビルや道路、橋などの建設がめざましく、首都プノンペンの発展は町の人々の勢いをあらわしているようでした。
しかしながら現地入りしてから3日目、プノンペンから北東へ数10キロ、コンポンチャム周辺の不発弾処理現場を見学した時は、やはり内戦で傷ついているといった現状を目の当たりにしました。現地のCMAC(カンボジア地雷処理センター)小隊長の話によると、最近は人的被害は無いものの牛が地雷を踏んで死んだとのことでした。普段生活しているすぐそばに地雷原がある、その現実にゾッとするものを感じました。しかし対照的にそんな現状にもめげず、底なしに明るい現地の人たちを見て、隊員の方々が命をかけ汗だくでやっている理由がなんとなくわかる気がしました。
その後、バッタンバンのインフラの整備、改修工事等の見学、5日目以降はその地域からさらに西へ数10キロの場所にあるタサエンという村を訪問しました。その地域においても、過去ポルポト派とベトナム軍が激しくぶつかった場所であり、いたるところに、地雷原のマークがありました。JMAS発足当時からカンボジアの復興事業に携わっている高山さんに案内していただき、地雷原の処理現場に前進すると、隊員の多くが女性ということに驚きました。見学当日は日差しも強く、重い対爆チョッキにヘルメットという装備で地道な作業を淡々とこなしていました。自分たちの村を少しでも住みよくしたいという強い意志がないとできない作業であると感じました。事故は最近ないのですかと聞きますと、数年前に対戦車地雷で七名の隊員が亡くなっているとのことでした。慰霊碑に案内していただき、亡くなった隊員の写真を見ると、まだ若く、事故当時結婚予定の方もいらっしゃったということでした。本当に危険と隣り合わせの仕事であると感じるとともに、日本という国がいかに安全な国であるということを実感しました。
見学期間はたったの1週間という短い期間ではありましたが、危険と隣り合わせで任務を遂行されている日本人スタッフ、現地の隊員、またそこに住んでいる人達とふれあい、非常に意義のある1週間でした。私としては、これをより多くの人に知ってもらい、より多くの人に実際に現地に行って感じてもらいたいと感じました。これからも安全にカンボジア、しいては世界の平和構築のために頑張ってほしいと思います。JMASの皆様、本当にありがとうございました。